選択肢 母との最期の過ごし方
この前、ケアマネが来た。
電話越しで、ちょっと、噛み合わない意見交換になったりはしたけど
彼女は、彼女で、自分の生活あるから、ちゃんと律してる。
ケアマネの仕事が、どんだけ辛いか?は、いくらか、わかるつもり。
以前担当してくれたケアマネは、役所的感覚というか、それが悪いというわけじゃない。
腹を割れた頃、彼女から「本音の言葉」をもらったことがある。
「私は、担当する方とそのご家族と、必ず、一線を引いて、それ以上踏み込まないようにしてお付き合いしています。なので、これを続けます。」とね。
たぶん、彼女が、私にそれを言ったのは、私からの訴えに、危機感を感じたからだろうな。
私の住んでいる町は、いまだ、「裏金」がはびこってる町。
金で、権力の売り買いをしている町。
彼女と、それが関係するか?って言えば、それはない。と思いたい。
直接的に関係することはなくても、金が絡む「権力者」にとって、彼女のようなタイプは、「カモ」だから。
従順であり、規則性をモットーとし、入らぬ詮索はしない。
だから、格好のカモ。
使えるから。そういう人間はね。
彼女は、役所と病院関係者には、受けがよかった。
反対に、私は、役所に「抗議」し、民生委員を通して、「証拠を隠滅できないようにして」から攻撃しかけるから。時間との勝負なんだけどね。
民生委員でさえ、「金で口を封じる」のが、この町の体質。
そして、私は、病院を値切る。値切れないと思ったことないから。
電化店だけが、値切れるわけじゃない。電話交渉で、手当たり次第に電話しまくって、値段交渉なんて、当たり前のことだから。
本当に、真逆のタイプ同士だったね。彼女とは
現在のケアマネは・・・、戦々恐々としてるといった感じだな。
それほど、私のことを知ってるわけでもなく、率先して、理解しようとしてるわけでもなく、ただ「思い込みが激しい」人といった印象。
彼女から聞いた話で、合点がいったこと。
「私は、精神科の知り合いがいるから、いつも、相談してる」と。
「今度、見てもらいしょう。気になるなら、そうしてもらったほうがいい」
そして、
「娘さん(びえいのこと)は、「プレッシャーに弱いのよ。わかってないでしょ?」という発言。
うーんーー; また、びえいを理解していると勘違いしている誤解者が、一人増えた・・・疲れる。
だから、びえいは、プレッシャーの弱いことを、自覚しているし、その弱さがあるから、慎重に進めることも知っているし、欠点だけど、+でもある私の「良さ」だと知っている。
びえいのことは、びえいにしか理解できない。
はあ・・・、この気持ちを説明するのが、面倒になる。母絡みの付き合いで、誤解を解くことに、面倒だ。
ケアマネに、このブログを読んでくれればわかる。と紹介したけど
遠慮しときます!と慌てる・・・
この発言で、わかったこと。
ああ、知ってるんだな。その慌てようは。けど、触れないんだ。そういうことか。
まあ、このブログを読んで、「精神科を勧められること」は、当然だと思ってた。
ネットの友人にも、「精神科」を勧められた。
そういうこと承知の上で、「びえいとして」書いてるしね。
何かを守ることを辞めたから、何かを常に打ち破るために、書いてるのが、現在のこのブログの 存在意義。
それを、理解できる者は、びえいだけ。
これが、どんだけ孤独で、淋しいものか、わかって、選んだ道。
何度も、自分のやっていることを振り返る。それが、最初に「打ち破った日」の私の心境。
そして、二年経ったけど
これが正しい選択だったと、思える。
偽りの びえい を 演じ続けたとして、「噛み合わない思い」「噛み合わない真実」に悩まされながら、生きるより
誰にも理解を求めず、誰かの同意を求めず、ただ、ひたすらに、貫く生き方を通すことを選んだのが、今の びえい。
これで、正しかった。私の人生の 選択。
あとは、もっとも、私と対立し、もっとも憎むべき相手だった「母」(過去の母)
今は、「赤ちゃんのよう」な母。
この人と、この人の最期の時を、どう過ごそう
心配をかけることのないようと思って、始めた投資だったけど、母の世話を怠ることが続いたことが、「良い選択」の仕方をしていないと思った。
今、このとき、私が、選ぶべき「選択肢」は、
金を儲ける わが娘 を 見せれるようになれるよう努力する私か?
それとも、
残りの人生を、笑顔で過ごす「家族らしい家族の過ごし方」を用意してくれた わが娘 を 記憶に残しながら 最期を迎えるさせてくれる私か?
後者だってわかってる。
この選択肢以外にないのか・・・ずっと、悩んでる 私
使えば、思い出を残せる。
使えば、もう後がない。
今日が、最期の日だったら、私は、どう生きる選択をする? びえいが、決断しなければいけないのは、常にそれだ。