メモ。目標を立てる。
イメージについての解説ではありません。
もともと、映像が見えてた。
この世界をどう伝えたらいいのか?まとまらなかった。
その世界に、私は、「こうしてみたい」「こうしたい」と付け加えていってたから。
どんどん膨らむ。まとまらない。
私が、「何を目標にしているのか?」見えなくなってた。
これじゃ、いけないんだ。
映像を伝えるのは、あと。
これから書くことは、メモであり、目標。
1、
パソコンの前に座っているユーザーへ
「ゲーム」を介して、「人の体」に「良い影響を与えるアクション」を起こしたい。
モニター画面がある。光と温度。これを感じ取る器官は、「目」だ。
「目」は、ある鍛え方をすれば、「脳」を活性化させることができる。
仕事中のユーザーには、なるべくは「目」を休憩させてもらいたい。
だから、この「目」を鍛えるアクションは、短時間のアクションで起こしたい。
明らかに、「脳トレ」を意識したアクションではなく、「自然な形」で提供。
私の中で、「ゲーム」とは、「遊び」 「遊び」とは、「学ぶ」ことだから。
2、
年齢層に応じた操作性の統一化。
少子化が進む中とはいえ、子供が皆無になることはないだろう。
だけど、10年前、オンラインゲームにはまったユーザーの多くは、今30代を迎えている。
少数では、私が知っているユーザーで、58歳でプレーされている方もいた。
今、68歳だ。
いろんなゲームが紹介されオープンされる中、「キーボード」での操作と「マウス」を使った指示には、ゲームごとで、操作の仕方が違う。
ゲームごとに「操作を覚えなければいけない」。
歳が若いと、これがおもしろかったりする。なので、一つのゲームだけに絞らず、いろいろ試してもらえる。その利点はある。
しかし、年齢を追うごと、この「操作を覚えること」が、「億劫」になる場合もある。
仕事に追われ、体が疲れて切っているにも関わらず、ゲームプレーをされている方。複数のゲームを試してみたいのに、時間がない。疲れている。そして、また覚えなければいけない。操作を・・・面倒だなぁ。。という声が聞こえてくる。
3、
同じく操作性についてだけど、これは、利き手の問題。
世の中には、この4種類の利き手がいると思う。
左利きの右手利かない。
右利きの左手利かない。
左利きの右も利く。
右利きの左も利く。
私は、左利きの右も利くタイプ。両利きというやつです。
4種類の利き手に応じた操作を提供するというのは、かなり面倒だと思う。
アンケートを取れたら、それに越したことはないのだけど、取り方を間違えたら、なんの意味もない。
これは、私の主観かもしれない。
人には、左であろうと右であろうと、「反応しやすい指」と「反応しにくい指」が存在する。利き手の5本の指の中にも、それはある。
不思議にも、利き手ではない方にも、「反応しやすい指」が存在する。
「指」だけではなく、手の平の中にも、「反応しやすいポイント」が存在する。
私が、キーボードで操作するとき、指を上下左右動かしますが、かならず「キーポイント」を「キーボード上」に貼り付けています。そこが「基点」です。
「基点」は、もう一つ作ります。「手の平」です。「ctrl」は、「手の平」で操作します。
私は、戦闘中は、キーボードは見ません。画面のみに集中しています。
右利きの友達に聞いてみたことがあります。
どんな操作をしているのか?をね。
まったく違ってた。手の使い方が、違う。彼は、世界ランクにも上るほどの腕の持ち主です。彼の操作は、私には真似できません。
では、世界ランクにも上るユーザーをターゲットに、操作性を考えるべきか?というと違う。
私が提供したいと思っているユーザーのタイプは、「家族」「子供がまだいない夫婦」「カップル」「友達同士」です。
一般ユーザーです。
そして、もう一つのタイプ。「指」で操作することが困難な人たち。彼らにも、楽しんでほしい。
「指以外が利き手」の方たちのための「操作性」を考えたい。
4、
国のことを考える。
少子化・雇用問題・お金が廻らない世の中
利益だけを追求していっても、それが「ゲーム開発」だけにしか「流用」されないのであれば、それが「社会に貢献している」と言えるのだろうか?
ゲーム世界で、「目」と「耳」と「感覚」に伝えることができるもの。
「世界」「景色」「光」「流通」
思い出しただけでも、美しい世界が広がっていた。今までプレーしてきたゲーム世界は、とても「目」にも「耳」にも心地よかった。
だけど、足りないと感じてならない。
そこに、現実世界の「過疎地域」の様子がダブることはなかった。「耕作されない放棄地」「自給率の低さ」
「介護をする。人の世話をする。介抱をすること。」動けない動かせない苦しさと大変さ。辛さも。
そして、もう一つ足りないもの。
「恋愛を楽しむ」場を提供するのではなく、「結婚して家庭を作ってほしいからこそ、恋愛を本気で応援します」という姿勢で、「応援する場」を提供するという心意気。
もちろん、オフラインでそういう「場」を作っている場合もある。
だけど、もっと勇気をもって、「目」にみえる形で、堂々と提供してほしい。
「オンラインゲームは、ゲームに過ぎない」のではなく、「オンラインゲームは、ゲームだけでは終わらない」という社会現象を起こしたい。
このことを考えるに当たって、今まで出会ってきたユーザーから受けた印象や環境、欠落点、利点、これは見逃せない。
だから、ずっと悩んだ。
メモは、今日はこれまで。(体調が崩れやすいので、どんなオチでも、許せ)