塩沢家伝統 一本空けた。次に飛びます。

養命酒 - Wikipedia

歴史

養命酒は、日本産の薬用酒である[7]。製造元に残る伝承によれば、慶長年間、信州伊那郡大草領(現在の長野県上伊那郡中川村大草)に住んでいた庄屋の塩沢宗閑翁が、雪の中で倒れていた老人を助けた。この老人が塩沢の元を去るときに、礼として薬用酒の製法を教えてくれたものが養命酒の起源だという[8]1602年、「養命酒」の名で製造開始。1603年には徳川家康に献上[8]され、そのときに「飛龍」の印を使うことが許されたという[9]。日本初の商標ともいわれている[9]

赤穂浪士養命酒を飲んでいた記録があるほか、1774年刊行の小説、『異国奇談和荘兵衛』に養命酒が登場している。長らく塩沢家で製造されてきたが、1923年には製造元が会社組織になった。

1930年に東京で本格的に養命酒を売り出した当初は全く売れなかった。進出に先立ち試飲した東京の酒類販売業者たちからは「こんなものが売れるものか」と大笑いされたという。しかし地道な宣伝活動を継続して行った結果、33年後の1963年の東京での売り上げは発売開始初年度の約80倍にまで膨らんでいた[10]

世界にも知られるようになったのは、海軍大将山本五十六養命酒の愛飲家で、ロンドン海軍軍縮会議に参加する若槻禮次郎全権大使に同行した際に持っていったのがきっかけと言われている。その後、中国やマレーシア、シンガポール、ブラジルなどに輸出するようになる。タイ王国では、味・効能とも非常によく似たヤーストゥリーが現在も販売されている。

戦後の一時期、虚弱体質の子供向けの滋養強壮薬としても普及した。少年少女向け漫画雑誌に広告を載せた[11][12]ほか、自動車のおもちゃなどを付けて販売した時期もあった。

なお、未成年の服用については、食生活の向上による虚弱児童の減少と飲酒に対する意識の変化を踏まえ、現在は推奨されていない。かつて小児にも設定されていた用法・用量は現在成人のみとなっており、20歳未満の場合には服用できないこととされている[13]