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トランプ政権と米国株投資

アメリカ市場の銘柄(ETF含む)を買う人向けに政治・経済の情報を提供するブログです。

 

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トランプ政権閣僚一覧 経歴、素顔、政策

トランプ政権の閣僚の顔触れを一覧してみます。

17年の政権発足後、公職未経験の経営者や軍人などが閣僚入りし、人材の交代が行われました(本記事は2016/12/13に公開後、随時更新)。

川上高司(拓殖大大学院教授)は、この陣容を四つにグループ分けしています(『トランプ後の世界秩序』P25~33)

  • インナーサークル(トランプ側近と身内):ペンス副大統領やクシュナー上級顧問等
  • 軍人・強硬派:マティス国防長官、セッションズ司法長官等(当時)
  • 実業家:ムニューチン財務長官、ロス商務長官等
  • 論功行賞と女性:カーソン住宅都市開発長官、デボス教育長官等

トランプの意図が見える人事としては、通商強硬路線のライトハイザーUSTR長官や資源開発を妨げる規制に反対するジンキ内務長官、エネルギー長官のペリー氏などが挙げられます。

大使人事では、親イスラエル派のフリードマン(弁護士)や知日派のウィリアム・ハガティ(民間コンサル会社在籍時に3年間東京に在住)、習主席の「長年の友人」であるテリー・ブランスタッド(元アイオワ州知事)等、駐在国寄りの人材が指名されました(テリーは緩衝役とみられる)。

政権の歩みを振り返ると、まず、発足から半年までの間に辞任劇が相次ぎました。

  • 2/13:マイケル・フリン大統領補佐官(ロシア疑惑で辞任)⇒マクマスター元陸軍中将が後任
  • 7/21:スパイサー大統領報道官(兼広報部長代行)辞任
  • 7/27:プリーバス首席補佐官が辞任(政権の内部情報をリークしたとされた)⇒ケリー国土安全保障長官が後任
  • 7/31:アンソニー・スカラムチ広報部長(52歳、投資会社創業者)が辞任⇒後任はサラ・ハッカビー・サンダース。

8月18日には、選挙期間中からトランプの有力な側近だったスティーブン・バノン首席戦略官兼上級顧問が辞任しました

関連記事:スティーブン・バノン来日講演と『炎と怒り』の要旨

北朝鮮政策に関して「軍事的解決策はない」と発言したことを契機に、「反移民」「保護貿易」「米国優先」等の主唱者が退任し、ケリー首席補佐官やマティス国防長官らを軸にした政権運営が固まったのです。

その後、17年秋には、9月29日にプライス米厚生長官が辞任(プライベートジェット機を国内出張のためにチャーターし、多額の公費を使ったため事実上の解任)。

18年には、3月6日に減税法案の成立に貢献した国家経済会議議長のゲーリー・コーンが辞任(後任はラリー・クドロー〔保守派の経済評論家〕)

また、国務長官がレックス・ティラーソン氏からCIA長官だったマイク・ポンペオに変わりました。

この二人は、鉄鋼業への輸入関税などの反中路線になじめずに辞任。その後は米中貿易戦争が続いています。

さらには、3月28日にはシュルキン退役軍人長官が解任されました(欧州を公式訪問した際に公費で観光等を行っていたため)。

マクマスター大統領補佐官(国家安全保障担当)も4月9日に辞任(後任はボルトン元国連大使)

秋口以降は、まずはヘイリー国連大使が辞任を表明。その後、セッションズ司法長官、ケリー首席補佐官、マティス国防長官の辞任が決まりました。

19年初には、元ボーイングのシャナハン新国防長官など(今後、上院で承認手続き)の新たな布陣が固まる見込みです。

改めて、今後の米国政治を動かす閣僚の顔ぶれを見ていきましょう(以下、敬称略)。

【目次】

副大統領:マイク・ペンス(元インディアナ州知事)

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本名はマイケル・R・ペンス(Michael R. Pence)。マイクは略称です。

ペンスはインディアナ州のコロンバス市に生まれました(1959年1月7日、59歳)。

副大統領指名を受ける際に「自分はまずキリスト教徒であり、次に保守主義者であり、共和党員である」と述べたように、ホワイトハウスHPの経歴でも、冒頭に宗教的な価値観の話が紹介されています。

移民の子であるペンスの両親はインディアナの町でコンビニ経営に成功し、同はそこで勤勉さと信仰、家族の大切さを学びました。

ペンスはハノーバー大で歴史を学び、81年に卒業。大学時代に信仰心の意義をつかみ、インディアナ大学のロースクールで弁護士資格を取ました。この頃に生涯の妻となるカレン夫人と出会っています。

88年と90年の下院選に立候補するも落選。その後、ペンスは地元のラジオ番組等でパーソナリティを務め、地道に実績と知名度を高めました。

00年の選挙で初当選し、インディアナ州選出の下院議員を6期連続で務めました(01~13年)。連邦下院予算委員長等を歴任し、小さくて効率的な政府、浪費の削減、経済発展、教育の機会均等を擁護しています。

そして、ペンスは13年以降、インディアナ州知事に転じました。ここでも「小さな政府」と低税率を訴え、同州の歴史で最も大きな所得税と法人税の減税を実現。州の競争力を高め、新しい投資と高収入の雇用を創造しました。

政策として「小さな政府」を掲げているペンスは保守派草の根運動のティーパーティー運動にも参加しています。

また、ペンスは保守的な価値観を強く持つ政治家です。

同が知事時代のインディアナ州では、15年3月に州内の個人や企業が宗教的な理由で同性愛者やトランスジェンダー等へのサービスを拒否できる法律(「宗教の自由回復法」)が発効しました(この賛否が全国の注目を集めた。なお、ペンスの宗派はキリスト教福音派)。

ペンスが副大統領に指名された際に「普通の人」であることを訴えたのは有権者を安心させるためでした。これは共和党主流派からの信任を活かしてトランプとのつなぎ役を務めるのが狙いでもあります。

(※ペンスを副大統領に推したのはクシュナー/イヴァンカ夫妻)

ペンスが地盤とするインディアナ州は中西部から北東部に到るラストベルト(さびついた工業地帯)にあるので、この副大統領指名には、労働者票の取り込む意図が含まれていました。

トランプ当選後はペンスが政権移行チームを率い、17年1月20日に正式に副大統領に就任しました。

ペンスは議会対策や内政に尽力し、その後、欧州やアジアなどを訪問。外交面でも力を発揮しています。

地元のインディアナ州には日本企業が多いので、我が国のよき理解者となることが期待されています。

なお、「日米経済対話」では麻生副総理のカウンターパートとなりましたが、機能しない「時間稼ぎ」のための枠組みと見られています。

大統領首席補佐官代行:ミック・マルバニー(元行政管理予算局長

行政管理予算局は、大統領府にて予算編成の見積もりや、予算教書の作成等を担う機関です(米国では予算編成権は議会にある)。

同局長官(閣僚級)の経歴は以下の通り。

1967年7月21日(現50歳)にバージニア州アレクサンドリアに生まれ、ノースカロライナ州で育ちました。

シャーロットカトリック高等学校⇒ジョージタウン大⇒ノースカロライナ大(1992年に法務博士号を取得)へと進学し、その後は法律事務所で勤務。

2007年から09年までサウスカロライナ州上院議員を務め、2010年中間選挙で「ティーパーティー」運動の支持を得て下院議員に当選します(サウスカロライナ州選出)。

2012年と14年に再選し、歳出削減を主張する強硬派議員として知られました。

トランプはマルバニーの指名に際して「米国は20兆ドル近い債務を抱えるが、マルバニーは責任をもって財政を管理し、国を借金漬けから救ってくれると確信している」と期待の意を表明。

マルバニーはトランプの意向を受け、軍事費を増やし、他の省庁の多くを軒並み削減する大胆な予算教書を作成しました。

大統領上級顧問:ジャレッド・クシュナー(実業家、トランプ娘婿)

クシュナー(37歳、1981年1月10日生)はニュージャージー州で敬虔なユダヤ教徒の不動産実業家の長男として生まれました。

03年にハーバード大を卒業し、07年にニューヨーク大学ビジネス・スクール・ロー・スクールにてMBAと法務博士号を取得しています。

同は、04年に脱税や違法献金等で実刑判決を受けた父親から事業を継承。06年に弱冠25歳で若き日のトランプと同じく巨額の買収を手掛けました。

週刊誌「ニューヨーク・オブザーバー」(千万ドル)や41階建てのマンハッタン5番街の高層ビル(41億ドル)等を購入し、09年にトランプの娘イヴァンカと結婚しています。

ユダヤ教徒であり、ユダヤ人コミュニティーとのつながりを持つクシュナーの影響はトランプのイスラエル寄りの中東政策にも反映されています。

クシュナーは15年にワン・タイムズスクエアの株式の過半数(50.1%)を買収。

やり手のビジネスマンとして活躍し、2016年大統領選では人事、戦略、演説、資金集め等に関わり、勝利に大きく貢献しました。

上級顧問は上院の承認が要りませんが、米国では大統領の親族を政府機関で雇用することを禁じているので(反縁故法)、クシュナーは無報酬です(雇用」ではないという理屈を通すため)。

クシュナーは事業で大成功を収めましたが、義父のトランプは「不動産よりも政治の方が好きなのではないか」と述べ、今後のクシュナーの活躍に大いに期待しています。

2017年4月の米中首脳会談以降、トランプ政権が中国との貿易交渉を行い、北朝鮮問題への対処を期待した際にはクシュナーの意向が働いていました。

しかし、北朝鮮はその後、長距離弾道ミサイルの発射と核実験を行い、この路線の限界が露呈しています。

2018年にはトランプ政権は方針転換し、中国製品に関税を賦課する方針を打ち出しました。

そのほか、クシュナーは、ロシア疑惑に関して、トランプJr.と共にロシア人弁護士と会ったことへの釈明に追われるなどの難題も抱えています。

最近はやや格下げとなり、政権の最高機密には触れられなくなっているとも報じられました。

国家安全保障担当大統領補佐官:ジョン・ボルトン(元国連大使)

この役職はNSC(アメリカ合衆国国家安全保障会議)を司り、大統領に安全保障問題について献策する大統領の指南役です(キッシンジャー等が務めていた閣僚級ポスト)。

新しい大統領補佐官(安全保障担当)に指名されたジョン・ロバート・ボルトン(John Robert Bolton)はメリーランド州ボルチモア出身です(1948年11月20日生、69歳)。

ブッシュ(子)政権の頃に国連大使を務めていました(05年8月1日~06年12月9日)。

その経歴は以下の通り。

  • 70年:イェール大卒(最優等)
  • 74年:同大で法務博士となる。その後、保守系の政治活動に参加。
  • 81~89年:国際開発庁や司法省で勤務
  • 89~93年:ブッシュ(父)政権で国務次官補
  • 94年:アメリカン・エンタープライズ公共政策研究所副所長
  • 01~05年:国務次官(軍備管理・国際安全保障担当)
  • 05~06年:国連大使

ボルトンは国連大使として、06年の北朝鮮への制裁決議の採択やバンコ・デルタ・アジアでの不正資金凍結を推進しています。

日本の国連常任理事国入りと台湾の国連加盟を支持。親イスラエルの外交政策です。

17年1月には、沖縄米軍の一部を台湾に移転するプランをWSJ紙で提言し、「一つの中国」の見直しを提唱しています。

退任後はガストン・インスティテュートの会長を務め、トランプ政権発足の頃には、国務長官候補の一人としてその名が挙げられていました。

※関連記事:ボルトン大統領補佐官は「一つの中国」再交渉を目指す

大統領補佐官兼国家経済会議議長:ラリー・クドロー(経済評論家)

米国家経済会議(NEC)は政策策定や調整全般に関わる経済政策の司令塔です。

ゲーリー・コーン国家経済会議(NEC)委員長が辞任し、その後任にCNBCのコメンテーターであるラリー・クドローが指名されました。

クドローは大統領選の頃からトランプに減税をはじめとした経済政策をアドバイスしていました。

その経歴と主張は以下の通り。

1947年8月20日にニュージャージー州のユダヤ系家庭に生まれ(現70歳)、69年にロチェスター大を卒業。71年にプリンストン大のウッドロー・ウィルソン公共・国際問題研究所で政治学と経済学を学びました。

修士取得前に大学を出て、87年からベアー・スターンズにてチーフ・エコノミスト兼シニア・マネージングディレクターとして働きます。

レーガン政権の頃は米行政管理予算局(OMB)の幹部を務めており、減税を訴えたアーサー・ラッファーとも親交があります。

幾つかのシンクタンクに関わり、経済評論家として活躍。CNBCの「ザ・クドロー・レポート」等のホストを務めてきました。

もとは自由貿易派ですが、トランプ大統領の指名を受諾してからは、鉄鋼関税や中国への知的財産権侵害への制裁にも賛成しています。

過去の経済予測には当たりはずれがあり、サブプライムショックの予測は外しました。

ただ、16年の景気後退とトランプ当選後の株価上昇に関しては、予測が当たっています。

現在、トランプ減税と規制緩和で3~4%の経済成長は可能と見込んでいます。

為替に関しては「強いドル」を支持。その論拠としてはレーガン政権下でドル高と同時に好景気が続いたことなどを列挙しています。

ドル高推奨なので、パウエルFRB理事長の利上げを後押ししていくはずです。

関連記事:ラリー・クドロー新NEC委員長は「強いドル」復帰を目指す

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米通商代表部(USTR)代表:ロバート・ライトハイザー(元USTR次席代表)

ライトハイザー(1947年10月11日生:70歳)はレーガン政権時代にUSTR次席代表を務め、対日鉄鋼協議で日本に輸出の自主規制を認めさせたタフ・ネゴシエイターです。

その後、米鉄鋼業界等に関わる弁護士に転じました。長年、中国が不公正な貿易やWTO違反を行っていると批判してきました。

ブルームバーグ記事(「米通商代表にライトハイザー起用、対中強硬派の元次席代表」1/3)ではトランプのコメントが紹介されています。

「ライトハイザーは米経済の最も重要なセクターの幾つかを保護する合意を取りまとめた幅広い経験を有している。多くの米国民から富を奪い取った誤った通商政策の転換に素晴らしい貢献をしてくれるだろう」

また、中国グローバル化研究センター(CCG)副主任の何偉文は「レーガン政権2期目に政権の通商チームは二国間交渉で日本に強い圧力をかけた。ライトハイザーが選ばれるのなら、対中強硬姿勢が見込まれ得る」と見込みました。

ライトハイザーは14日の上院公聴会にて、農産物の市場開放では「日本が第一の標的だ」とも述べていました(もともとTPPに反対していた)。

TPP離脱後、トランプ政権はTPP以上に有利な協定の妥結を目指すわけです。

ライトハイザーは豊富な貿易交渉の実務経験をもとに、NAFTA再交渉など、各国との通商条約の見直しを担っています。

関連記事:NAFTA再交渉の行方

通商製造政策局長:ピーター・ナバロ(元カリフォルニア大教授)

ピーター・ナヴァロ(Peter Navarro、68歳:1949年7月15日生)は経済学者・公共政策学者です。

カリフォルニア大学アーヴァイン校の教授で、CNBC経済番組でレギュラー出演者として出演したり、ビジネスウィーク誌やNYT、WSJ等に寄稿したりと幅広く活躍しています。

2000年代から中国の軍拡に警鐘を鳴らし、12冊の著書を刊行し、近年には『米中もし戦わば』(赤根洋子訳)が注目されました。この人は「力による平和」を論じ、「抑止力なくして平和はない」というリアリズム的な世界観を元に外交政策を考えています。

この人は対中強硬派で、『Death By China』を執筆し、自ら監督・脚本を務めてもいました

選挙期間中からトランプの経済政策の顧問をしており、12月21日に政権以降チームが通商政策の具体化を計って「国家通商会議(NTC)」を新設することを発表した際に、その責任者に指名されました。

NTCは国家安全保障会議(NSC)と連携し、経済と安全保障の双方から国家戦略をつくる機関となると見られていましたが、この機関は廃止され、その後、トランプは4月末の大統領令で通商や産業政策を助言する「通商製造政策局」を設けました。

17年春頃からは対中外交が硬軟併用の路線に変わり、ナヴァロの地位を格下げします。

この局は通商交渉の実務そのものを担当せず、商務省との調整役等でしかないからです。

しかし、18年に入り、対立していたコーンが辞任。対中対話路線のティラーソンも辞任し、ナヴァロにとって影響力拡大のチャンスがやってきています。

※関連記事:『米中もし戦わば』書評とピーター・ナバロの紹介

国務長官:マイク・ポンペオ(前CIA長官)

マイク・ポンペオは1963年12月30日(現64歳)にカリフォルニア州オレンジ市に生まれ、ウェストポイントの陸軍士官学校に入ります。

86年に同校を首席で卒業し、ベルリンの壁が崩れる前に騎兵師団将校として「鉄のカーテン」近辺を哨戒していました。

退役後、ハーバード大学法科大学院を卒業し、同校では、ハーバード・ロー・レビュー誌の編集者を務めています。

退役後はセイヤー・エアロスペース社を設立し、10年以上、CEOを務めたほか、油田設備の製造・販売等にも携わりました。

法律、軍事、経営のいずれにおいても才覚を発揮しているので、相当な切れ者です。

ポンペオは2010年に保守派のティーパーティー運動の支持を受け、カンザス州で下院議員に当選。

ゲイや中絶に反対する熱心な福音派キリスト教徒であり、全米ライフル協会の終身会員でもあります。

4期ほど下院議員を務め、下院情報特別委員会、エネルギー・商業委員会等に所属しました。

イラン核合意の反対を主導し、ヒラリー国務長官(当時)が無策だったベンガジ(リビア東部)での米領事館襲撃事件に関する特別委員会に名を連ねています。

トランプ政権では、まずCIA長官を務め、その後に国務長官に就任しました。

ポンペオに関しては、リベラル系のメディアが酷評しています(トランプ人事はこの種の人物ばかり)。

しかし、筆者はハンフィントンポストの批判記事を見た時、記者の意図に反して、ポンペオの主張の背景が分かってしまいました。

ハフポス記事(「次期CIA長官、マイク・ポンペオの人物像とは?拷問の実行を擁護したことも」Christina Wilkie、2016/11/28)は、CIAによる「強化尋問」(拷問のこと)擁護に関して、ポンペオの二つの発言を批判しています。

「強化尋問によって我々が得た情報は貴重なものだ。オサマ・ビンラディン容疑者確保の直接的な要因になったからだ」「(ビンラディンが殺害された)あの晩のシチュエーションルームの写真を、オバマ大統領が公開したのは素晴らしいことだ。しかし、彼は実際に作戦を実行した兵士たちに背を向け、擁護しなかった」

非人道的だと批判されているわけですが、ポンペオは「戦争の現実を直視すべきだ」と言いたかったのではないでしょうか。

ボンベオは、オバマ大統領はビンラディン殺害で米国で喝采を浴びながら、そのための汚れ仕事をした現場兵士に対して、何ら報いもしなかったと批判しています。

結局、拷問で手にした情報でビンラディンを殺したなら、オバマも一蓮托生なのに、自分だけ喝采を浴びるのはおかしいと言っているわけです。

これは極めて当たり前の意見です。

ハフポス紙は、そのほかにもアメリカ国家安全保障局(NSA)が行った違法な情報収集(スノーデンに暴露された話です)をボンベオが擁護したことを批判(ポンペオは「戦時だから仕方ない」という論理)。

トランプ政権では、シビアな現実主義者が評価される傾向があるようです。

※関連記事:マイク・ポンペオ新国務長官は北朝鮮やイランへの強硬派

国防長官代行:パトリック・M・シャナハン(元国防副長官)

パトリック・M・シャナハンは、前任者のマティス氏の年末辞任に伴い、2019年1月1日に国防長官代行に就任。今後は上院での承認の手続きが控えています。

シャナハン氏は17年から国防副長官を務めてきたので、副長官が前任者が抜けた穴を埋める形になります。

同氏はボーイング社でサプライチェーンとオペレーション部門の上級副社長を務めており、軍歴や外交経験などはないので、昔のマクナマラ国防長官(ケネディ政権時)のような民間出身の国防長官となります。

その経歴は以下の通りです。

1962年にワシントンに生まれ、ワシントン大(機械工学)⇒マサチューセッツ工科大(理学)へと進学し、同工科大スローンマネジメントスクールにてMBAを取得しました。

86年にボーイングに入り、30年以上勤めるなかで、ボーイング737、747、767、777、787のプログラムとオペレーションを管理。主要製造拠点での業務等を管理していました。

軍事部門では、ボーイングミサイル防衛システムの副社長兼ゼネラルマネジャーを務め、陸上配置型のミッドコース防衛システム、空中レーザーや高度戦術レーザー(レーザーでミサイルを撃墜する研究開発)を司りました。ボーイングロータークラフトシステムズの副社長兼ゼネラルマネージャーとして、アパッチヘリ、チヌークヘリ、オスプレイ等も司っています。

研究面では英王立航空協会やSME(Society of Manufacturing Engineers Fellow)、アメリカ航空宇宙学会のフェロー等をつとめ、ワシントン大学で理事を務めました。

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退役軍人省長官:ロバート・ウィルキー(元国防長官次官補)

トランプ政権発足後、ウィルキー氏はマティス国防長官のもとで国防長官次官補として人事を担っていましたが、前任者のシュルキン氏の辞任に伴い、ウィルキー氏は代理長官に就任(2018年3月28日~5月29日)、7月23日に上院で長官として承認されました。

ウィルキー氏は1962年(8月6日)に陸軍砲兵司令官の息子として生まれ、青年時代を陸軍のフォートブラッグで過ごし、情報機関や空軍の最高司令官事務所などで務めています。

その後、連邦政府に入り、ブッシュ(息子)政権において、2005年から2009年まで国防副長官となりました(当時の長官はラムズフェルド⇒ロバート・ゲイツ)。

当時、コンドリーザ・ライス博士の補佐官も務め、議会でにおいてもトム・ティリス上院議員の顧問等を務めています。

学位はウェイクフォレスト大、ロヨラ大(法学博士)、ジョージタウン大(国際法比較法/修士)、米陸軍戦争大(戦略研究/修士)など。

国土安全保障省長官:キルステン・ニールセン(元大統領次席補佐官)

キルステン・ニールセンは1972年5月14日 (45歳)に生まれ、フロリダ州クリアウォーターで育ちました。

彼女はジョージタウン外務省の学士号を取得し、1999年にバージニア大学で法学博士号を取得。エドムンド・A・ウォルシュ外交大学院を卒業しました。

ニールセンは女性で、サイバーセキュリティーの専門家です。

ニールセンは、ブッシュ政権の頃、国土安全保障委員会で、大統領を補佐する仕事を務めました。交通安全管理局でも政策立案と行政に携わりました。

その後、トランプ政権に入るまでには、ジョージ・ワシントン大学のサイバー・国土安全保障に関わるタスクフォースの上級メンバーとなりました。

サンセシス社を創業し、そこではオバマ政権から多くの仕事を受注しています。

2017年8月からケリーがホワイトハウスを指揮するようになると、ケリーのスタッフだったニールセンは国土安全保障にかかわる仕事を引き受けるようになりました(大統領次席補佐官に就任)。

そして、2017年12月7日に、ケリーの代行を務めていたエレイン・デューク(副大臣)に替わり、国土安全保障省長官に就任します。

就任時には「テロリストの脅威から国境とサイバー空間を含む全領域において米国の安全水準を引き上げる現政権の仕事を担うこと」を誓約しました。

そして、現在は移民制度を家族ベースからメリットベースの制度(能力本位で移民の受入れを決める)に変えることに力を尽くしています。

国家情報長官:ダン・コーツ(前上院議員)

ダン・コーツ(1943年5月16日生、74歳)は20年以上のキャリアを持つベテラン議員です。

ダンはミシガン州出身で、1971年にインディアナ大学のロースクールを卒業して弁護士となり、共和党の下院議員(1981~89年)、上院議員 (1989~99年/2011~17、インディアナ州選出)を歴任しました。上院では情報特別委員会や経済関連の委員会で仕事をしており、ブッシュ前政権の時代には駐ドイツ大使も務めています。

16の情報機関を統括する国家情報長官の指名に関して、トランプは『ダンは、米国の情報機関を率いるのに必要な深い専門知識と健全な判断力を明確に示してきた』『国家情報長官として承認されれば、彼(コーツ)は米国の全情報機関から尊敬され得るリーダーシップを発揮し、米国に危害を加えようと試みる者たちを絶えず警戒する私の政権で陣頭指揮を執ってくれるだろう』と述べました(AFP通信「トランプ、米国家情報長官にダン・コーツ前上院議員を指名」2017/1/8)。

前掲記事は、コーツがロシアのクリミア併合時に米国が行った制裁を主導し、ロシアからブラックリストに載せられ、同が光栄だと述べたことも紹介しています。

ダンの登用は、共和党の対露強硬派を配慮した人事とも見られています。

CIA長官:ジーナ・ハスペル(前CIA副長官)

CIAは中央情報局(Central Intelligence Agency)の略です。

その長官は情報収集、分析、隠密行動、対外諜報、外国の情報機関との連絡等を司ります。

ジーナ・ハスペル(Gina Haspel)は1956年8月1日に生まれ(現61歳)、1985年にCIAに入局しました。

19歳の頃に入局して以来、30数年にわたり、CIAでキャリアを重ね、ポンペオ前長官が国務長官に就任したことに伴い、女性初のCIA長官として重責を担うことになりました。

副局長になる前に、マイク・ポンペオはハスペルを「際立った情報機関の局員であり、30年以上の経験をもって仕事にあたる献身的な愛国者」だと激賞しています。

ハスペルは海外活動のエージェントとして活動したり、各地の情報機関の拠点の長を務めました。ワシントンでは、国家機密機関を管理する部局の長も務めています。

対テロ作戦の実施に関してジョージ H. W. ブッシュ賞、ドノバン賞など受賞し、公務員の最高の賞に位置するPresidential Rank Awardをもらっています。

ただ、リベラル派からは対テロ作戦の実施にあたり、タイのCIAキャンプで人権侵害を行ったのではないか、とも批判されています。

保守からは評価が高いのですが、リベラルマスコミからはこき下ろされているようです。

司法長官代行:マシュー・ウィテカー

セッションズ司法長官の辞任に伴い、17年からその首席補佐官をしていたウィテカー氏(1969年10月29日生)が司法長官代行となりました。

同氏は アイオワ州出身で、95年に アイオワ大で法曹資格を取得。2004年に、ブッシュ元大統領によってアイオワ州南部の連邦検事に任命されます。

その後、連邦上院議員を目指しましたが、予備選で破れ、保守系団体を率いてヒラリー・クリントン元国務長官を批判を繰り返していました。

セッションズ氏の司法長官就任後、同氏も首席補佐官に就任しています。

次期司法長官:ウィリアム・バー(元司法長官)

ウィリアム・バー氏は1950年5月23日 (68歳)にニューヨークに生まれ、1971年にコロンビア大を卒業。

その後、1973年から1977年まで中央情報局に勤務し、ジョージ・ワシントン大の法科大学院 (1977)にて法曹の学位を取得しています。

卒業後は弁護士を務め、1982年から1983年まで、レーガン政権の国内政策のアドバイザーを務めました。

そして、ブッシュ(父)政権では、法律顧問事務所を管轄する司法長官の補佐官(1989-90)、司法長官代理(90-91年)、司法長官(91-93年)を歴任。

この頃にバー氏は、暴力犯罪と闘う革新的なプログラムを定め、金融機関、独占禁止法、人権問題などの幅広い分野で法制度の改革を進めました。

S&L危機(個人預金を原資に住宅ローンなどを貸し付ける金融機関の破綻問題)、パンナム103爆破事件(リビアのテロ)の調査を監督。タラデガ刑務所の蜂起を鎮圧し、湾岸戦争中にはテロ対策に取り組んでいます。

取り組んだ問題を見る限り、政権の火消し役といったポジションに見えます。

司法長官を退官後は、大企業の幹部を務め、法務分野でキャリアを積みました。

GTEコーポレーションとベルアトランティックの合併(ベライゾンが成立)にも関わり、法務や対政府業務を統括。

08年にベライゾンを退職した後は、弁護士として活動を続けてきました。

財務長官:スティーブン・ムニューチン(元デューン・キャピタルCEO)

トランプは選挙中に財務責任者として資金調達を担ったムニューチン(Steven Mnuchin:55歳、1962年12月21日生。ムニューシンとも表記される)を財務長官に指名しました。

トランプは選挙中に大手銀行やヘッジファンド批判を行い、税金の抜け穴をふさぐことを公約していましたが、なぜか、元ゴールドマンサックス(GS)幹部のムニーチュンが財務長官になります。

これはウォール街のパワーがよくわかる事例です。

ニューヨーク出身のムニューチンはGS幹部の息子として生まれ、イェール大を卒業し、父と同じくGSに就職しました。

GSのパートナーとなり、巨富を手にしています。

(ムニューチンは17年間で推計4000万ドルの純資産を稼いだとも言われている)

ムニューチンはGSのパートナー(共同経営者)を17年間務め、退社後はヘッジファンドを設立。

2000年代に一時期、ジョージ・ソロスのもとで働いたり、アメリカの西海岸で金融業を行ったり、破綻したカリフォルニアの銀行(インディマック)買収し、ワンウェストとして再出発させたりしています。

さらには映画事業に手を伸ばし、ラットパック=デューン・エンターテインメント社を設立。ここはアバターやX-MEN等を作ったところです。20世紀フォックスと組んだ「アバター」、ワーナー・ブラザーズと組んだ「ゼロ・グラビティ」を大ヒットさせたりもしました。

私生活面をみると、2回離婚し、現在は美人妻をつれて3人の子供を育てています。

こうしたユニークな経歴を持ち、1億1800~3億9200万ドルもの資産を持つ富豪が財務長官になりました。

(※ムニューチンは1月に財務長官との利益背反という批判を回避するために、9400万ドル以上の財産を売却することを明らかにした)

ムニューチンとコーンが政権入りしたせいか、新政権発足後はアンチウォール街的な政策はトーンダウンしましたが、18年にコーンが辞任。

今後の動向は要注目です。

なお、90年代のクリントン政権ではロバート・ルービン会長、2000年代のブッシュ政権ではポールソンが閣僚入りしていますが、田村秀男(産経新聞特別記者)は、GSが歴代政権に元CEO等を送り込んでいる理由を、米国は最大の債務国であり、世界中から資金を集めるウォール街と政治の中心地のワシントンが運命共同体だからだとも指摘しています(川上高司ほか『トランプ後の世界秩序』P77)

ムニューチンは上院財政委員会での公聴会では、規制緩和や減税政策(労働者や企業向け)による米国経済の活性化、ドル高の容認、アメリカの労働者を第一とする通商政策(貿易不均衡の是正)等を訴えました(ABCニュース記事(2017/1/19 ”Steve Mnuchin Failed to Reveal $100 Million in Assets, Links to Tax Haven Company By LAUREN PEARLE)(※日本語は筆者訳)。

  • ムニューチンは国税法の改革を支持し、それらは「より簡素で有効に」すべきだとした。
  • 私の第一の優先事項は経済成長だ。中でも税制改革が最も重要である」「過剰な規制が経済成長を損なっている」
  • 同は「100%」モスクワへの制裁強化に賛同すると述べた。「法の中で最大限の制裁を行う」と誓った。
  • 同は現在のロシアへの制裁解除に反対したが、追加制裁を勧める質問に対しては答えることを拒んだ。
  • 同は必要ならば米国の財政破綻を回避するために債務上限の引き上げに支持することも示した。
  • 「トランプは経済成長志向の減税政策を持っており、我々はその計画の費用に対しては敏感だ」
  • 同はNAFTAは再交渉されるべきだと繰返し、我々はメキシコに対する再交渉に有利な立場を利用できるという楽観的な見通しを示した

関連記事:米国の法人税が21%、日本が30%の時代が来る

なお、公共投資に関しては、必ずしもトランプと同意見ではありません。

大統領選の頃のトランプはクリントンのインフラ銀行創設計画を「政治家と官僚に牛耳られる」と批判していました。そして、税優遇を用いて民間投資を勧めることを提言しましたが、ムニューチンは、その後、新政権はインフラ銀行の創設を検討することを示唆したのです。

トランプは巨額の税控除というインセンティブを与えて民間企業に投資してもらう案ですが、ムニューチンの案は、それだけだと儲からない地域への公共投資が手薄になる、という面を考慮しています(※民間企業は儲からない投資はしないので、公的機関としてインフラ銀行を立ち上げ、全国へのインフラ補修投資などを展開しようとする考え)。

トランプ政権のインフラ投資政策を具体化する上では、ムニューチンの動向も注目を集めています。

2018年1月には「ドル安は貿易とビジネスにとって良いことだ」と発言し、世界の為替を揺さぶりました(ムニューシン・ショック)。

商務長官:ウィルバー・ロス(元「WLロス&カンパニー」会長)

ウィルバー・ロス(Wilbur Ross:80歳、1937年11月28日生)は、59年にイェール大を卒業し、61年にハーバード大でMBAを取得。64年から66年までは研究員としてウッド・ストラウザーズ・ウィンスロップ社等で勤務。長く務めたのはフォールクナー・ドーキンス・サリバン証券で、64年~76年まで経営を担っています。

76年には米投資会社NMロスチャイド&サンズに入社し、2000年まで専務取締役を勤めました。その後、2000年に投資ファンド会社の「WLロス&カンパニー」を設立し、2016年まで経営を続けました。

ロスは繊維や電気、鉄鋼、石炭、鉄鋼等、多様な業種で会社を再建して財をなしたので、「再建王」とも呼ばれています(※産経記事〔12/11:1面〕によれば推定保有資産は25億ドル)。

有名なのは2000年に破綻した鉄鋼会社LTVを2002年に買収し、その後に買収した競合企業を合わせてインターナショナル・スチール・グループを設立した再編事業です。

ロスは1997年に日本でタイヨウ・ファンドを設立し、99年に幸福銀行(現関西アーバン銀行)を買収して再建。

2010年以降、日米交流団体「ジャパン・ソサエティ」会長をも務めた知日派です(05~10年までは理事)。

2011年の東日本大震災では1388万ドルの義援金を集めて寄付し、14年には日本政府から旭日重光章を授与されました。

ロスはTPPに肯定的だったこともありますが、トランプ政権を支える側に回ってからは、米国の自動車産業等に不利だとして、TPP脱退を支持しています。

内政面では、大統領選の頃、カリフォルニア大のピーター・ナバロ教授と連名で減税による税収減対策として「向こう10年でトランプの経済計画が見込む歳入増加分約2兆4000億ドル(242兆1000億円)のうち、貿易政策の強硬化だけで4分の3ほどを創出できる」とも主張していました(WSJ日本語版「トランプ陣営顧問、貿易政策で大幅歳入増見込む」2016/9/26)。

※関連記事:トランプ政権のインフラ政策

上院公聴会では、23か国で実際に企業経営を行ってきた経験を踏まえ、「私は反貿易主義者ではない。貿易を支持している。しかし、私が支持するのは良識ある貿易だ。米国の労働者や製造業拠点に不利な貿易は支持できない」と述べました。

ダボス会議での中国側の主張に対しては「中国は、世界の大国の中で最も保護主義的な国だ。彼らの商業に対する関税障壁と非関税障壁は非常に高い。彼らは自分たちが主張している自由貿易を実践できていない。我々はその現実をそのレトリックに近づけていきたい」と反論しています。

そのほか、ロスとトランプとの出会いに関しては興味深い逸話があります。

両の出会いは、カジノ事業「トランプ・タージマハル」の再建業務がきっかけでした(フォーブス「トランプを借金地獄から救った男、ウィルバー・ロス次期商務長官の人生」2016/12/10)。

「数ヶ月ほどで経営は行き詰まり、トランプは巨額の支払いに追われることになった。その時、破産アドバイザーチームの債権者代表を務めていたのがロスだった。ロスはカジノを強制破産させ、トランプを債務から救い出そうと動いた。ロスはその頃、トランプが乗ったリムジンめがけ、群衆が押し寄せる様子を目撃し、トランプの人気ぶりに驚いたという」

「トランプはタージマハルの持ち株の50%を手放し、それと引き換えに支払い条件の緩和を受け、カジノの経営は継続する。トランプはその後も同種の取引を続けた結果、借金地獄から抜け出し、長者リスト『フォーブス400』に返り咲いた」

トランプも「再建王」のお世話になりましたが、ロスの側もトランプの人気を見て「ただ者ではない。有望株だ」と目をつけています。

借金の海に沈んでいた経営者が、その後、大統領にまで出世したわけですから、同には先見の明がありました。

この時にトランプが大統領になることまで予見できたのかどうかを誰かに聞いてみてほしいものです。

当初は財務長官就任が期待されましたが、高齢のため世界を飛び回る財務長官は無理と判断して商務長官となりました。

ロスは商務大臣就任後、貿易交渉に盛んに顔を出し、「公正な貿易」の実現に向けて力を発揮しています。

2018年には輸入関税の賦課(鉄鋼25%、アルミ10%)を大統領に進言し、実現させました。

※関連記事:米国が鉄鋼とアルミニウムに輸入関税をかけた理由

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国連大使代行:ジョナサン・コーエン(元副国連大使)

ニッキー・ヘイリー氏の辞任に伴い、現在はジョナサン・コーエン氏が国連大使代行を務めています。

コーエン氏はプリンストン大を卒業後、1986年に外務省に入り、バンコク、エルサレム、ウィーン、ストックホルム、アンカラ、ローマなどの大使館や領事館で勤務しました。

近年ではキプロス(08~11年)、パリ(11~13年)に赴任し、16年8月から18年6月まで、ヨーロッパおよびユーラシア問題担当副次官補を務めています。

18年初頭に副国連大使となり、ヘイリー氏の辞任後、現職となりました。

次期国連大使:ヘザー・ナウアート(元国務次官)

ヘイリー国連大使の後任には、国務次官(国際広報担当)/国務省報道官を務めていたヘザー・ナウアート(Heather Ann Nauert、1970年1月27日生)氏が指名されました。

ナウアート氏はイリノイ州出身。コロンビア大でジャーナリズム大学院を卒業し、保険コンサルタントを務めた後にジャーナリストになりました。

ABCテレビからFOXニュースに移り、『フォックス・アンド・フレンズ』の司会や大統領選の取材などに携わっています。

2017年春に国務省で仕事を始め、数多くの記者会見をこなして外交政策を説明し、ポンペオ国務長官の北朝鮮訪問にも同行しました。

運輸長官:イレイン・チャオ(元労働長官)

チャオはトランプの重要政策であるインフラ整備を担います。

トランプ政権はインフラ投資でPPP(官民パートナーシップ)を推進することを公約しています。

PPPというのは(Public Private Partnership)の略語なので、日本語で言えば「官民連携」という言葉に相当します。民間資金やノウハウを公共施設の整備や効率化、サービスの改善等に活かす方法のことです。

トランプは、選挙期間中から、アメリカでも道路や橋、トンネル等の老朽化が深刻化しているので、10年間で1兆ドルのインフラ投資計画を立ち上げることを公約しました。投資減税等のインセンティブを用いて、官民パートナーシップを推進することを主張していたのです

チャオは指名承認の議会公聴会で「エクイティ会社や年金基金、寄付基金が(インフラに)投資できる推定数兆の資本を最大限に利用する」ためには、「大胆な新しいビジョン」が必要だと述べています。

この人の人生を見てみます。

趙小蘭は英語では「イレーン・ラン・チャオ」(Elaine Lan Chao:54歳、1953年3月26日生)と呼ばれています。

ニッキーがマイノリティ系知事として注目されるのと並んで、チャオはブッシュ政権の頃、2001年にアジア系アメリカ人の女性で初の閣僚入り(労働長官)を果たした人物です。

チャオは台北市で上海出身の商船船長(趙錫成)の家庭で生まれました。

趙家は8歳の頃に米国に移住し、ニューヨークのロングアイランドに居住しています。

チャオは1975年にマウントホーリオーク大学で経済学を学んだ後に父の船会社で2年間勤務します。

79年にハーバード大でMBAを取得。

シティバンクニューヨーク支店勤務、ホワイトハウス実習生(83年)、バンク・オブ・アメリカ副社長等の経歴を経て、86年に連邦政府入りしました。

86年に運輸省海事管理局次長、88年に連邦海事委員会議長、89年にブッシュ父政権にて運輸副長官を務めます。

(そのほか、募金仲介団体のユナイテッド・ウェイでCEOを務めたり、ヘリテージ財団で特別研究員となったり、ウェルズ・ファーゴ等の企業取締役会に参加したりと幅広く活躍)

93年にケンタッキー州選出の共和党上院議員(ミッチ・マコーネル)と結婚。

チャオの父は江沢民と大学時代と同級生で、夫は共和党主流派の有力議員なので、チャオは中国と米国に幅広い人脈を持っています。

2001年にはブッシュ(子)政権にて労働長官に就任し、その後、保守系シンクタンク「ヘリテージ財団」の特別研究員等を歴任しました。

チャオは米国、中国、台湾のどこにも人脈を持ち、幅広く活動を展開しています。

内務長官:ライアン・ジンキ(元共和党下院議員)

ライアン・ジンキ(Ryan Zinke:56歳、1961年11月1日生)はモンタナ州出身。オレゴン大学を卒業。

もともと地質学を学んでいたので、鉱物に詳しい政治家です。

外観は強面で、米海軍では1986年から2008年まで特殊部隊(シールズ)で働いていました(中佐で退官)。

カリフォルニアのナショナル・ユニバーシティでMBAを取得するなど、軍事以外にも見識の幅を広げています。

2008年にモンタナ州上院議員として当選。共和党上院議員として2011年まで在籍。

2014年には下院議員として当選。2016年に再選されています。

内務省には連邦政府所管の土地開発の権限があるので、トランプ政権は、石油・天然ガス開発の積極策を提唱するジンキを長官にあてることで、資源開発の規制緩和を進めようとしています(同は、CO2が気候変動の原因だとする説の懐疑論者でもある)。

関連記事:アメリカのエネルギー政策

環境保護局長官:スコット・プルイット(元オクラホマ州司法長官)

スコット・プルイット(1968年5月9日、50歳)はジョージタウン・カレッジを卒業し、トゥルサ大学法科大学院で資格を得て、弁護士となりました。

その後、オクラホマ州議会の上院議員を8年間務め、近年まではオクラホマ州の司法長官を務めています。

州司法長官時代には、アーカンソー州の司法長官(民主党)と協力し、イリノイ川の水質調査実施に関する合意を取りまとめたり、先住民族の土地にある湖や川を保護したりしています。

ややこしい水利権問題を整理したわけです。

天然資源保護や財産権侵害への対策などに取り組み、連邦政府の不当な規制・干渉に対抗する仕事に取り組んでいます。

その一環でもあるのでしょうが、プルイットは、オバマ政権が企てた火力発電所のCO2排出規制に反発し、無効訴訟を起しています。

石油と天然ガスの産地であるオクラホマ州から起きた訴訟は全米の過半数の州が参加したため、オバマは在任中に規制を導入できなくなりました。

そのほか、過去に水圧破砕法によるシェール採掘の規制への異議申し立てを行っています。

トランプはこの指名について「EPAはあまりにも長い間、制御の利かない反エネルギー政策に税金を注ぎ込み、何百万という職が失われ、またわが国の優れた農業、その他の多くの事業や産業を、至る所でむしばんできた」(プルイットは)「この流れを逆転させ、わが国の空気と水をきれいで安全に保つというEPAの最重要使命を取り戻してくれるはずだ」と述べています(AFP通信「環境長官に温暖化懐疑派、トランプ人事に怒りの声」2016/12/9) 。

ブルイットはトランプと同じく、地球温暖化の原因がCO2排出だとする説には懐疑的です。

この人事は環境政策に関して、オバマ政権とは真逆路線になることを意味しています。

評論家の藤井厳喜氏によれば、プルイットは「オバマ政権の下で石油産業や石炭産業が大打撃を受けたので、これを何とか逆転しよう」「責任ある環境保護と企業の自由の双方を促進する」とも発言しているそうです。

エネルギー長官:リック・ペリー(元テキサス州知事)

リックは略称。本名はジェームズ・リチャード・ペリー(67歳、1950年3月4日生)。

西テキサス出身。1968年にテキサスA&M大学(※AはAgriculture、MはMechanicaを意味する)に進学。卒業後は空軍に入隊。

1972~77年まで、欧米や中東でC-130輸送機のパイロットを務めました(大尉で退官)。

政治キャリアは民主党州下院議員から始まります(1984年当選。三期務める)。

88年の大統領選ではアル・ゴアを支持。89年に共和党に所属を変更。90年に州農政監察官に当選。同州下院議員となり、98年の中間選挙でテキサス州副知事に当選しました。

その後、2000年にジョージ・W・ブッシュが大統領となり州知事辞任をしたため、テキサス州知事となります。02年以降、連続当選を続け、15年には大統領選に挑戦し、途中で辞退しました。

(※15年というのは、テキサス州知事では最長の在任期間になる)。

エネルギー産業が盛んなテキサス州出身のためか、エネルギー規制には否定的で、地球温暖化の原因をCO2とする説にも懐疑的です。

ペリーは2012年の共和党予備選では「三つの省庁を廃止する」と宣言したのですが、その時に「エネルギー省」という名前を思い出せずに恥をかきました。

そのペリーがエネルギー省長官となるのは異例の人事です。

トランプはペリーが「何百万人もの雇用を生み、エネルギー価格の低下に貢献した(←民衆の生活コストを下げた)」ことを評価しています。

(※在任中に220万以上の雇用を創出し、人口増に貢献したとも言われている)

内務省には連邦政府所管の土地の開発規制に関する権限を持っているので、トランプ政権は規制緩和に肯定的なペリーを置くことで、資源開発を進めようとしています。

また、エネルギー長官は核抑止力の管理や核開発から生じた環境の除染、17カ所の国立研究所の運営等にも責任を負っているので、ここに保守系の軍歴ある政治家をもってきたわけです。

なお、ペリー氏は。全米ライフル協会と米国在郷軍人会第75支部の終身会員です。

保険福祉省長官:アレックス・アザー(イーライリリーUSA社長)

プライスの後任となったアレックス・アザー(Alex Michael Azar II/1967年6月17日生:50歳)は 2018年1月24日に保険福祉省長官に就任しました。

同はペンシルベニア州ジョンズタウンに生まれ、1981年から85年までメリーランド州ソールズベリーのパークサイド高校に通い、その後、88年にダートマス大学を卒業。91年にイエール大で法務博士の学位を取得。

90年代前半にはアントニン・スカリアやケネス・スターの下で働き、96年から01年の間、ワシントンの法律事務所でキャリアを積みました。

2001年8月には米国保健福祉省の法務顧問となり、05年~07年には米国保健福祉省次官補を務めています。

アザーはブッシュ政権終了後、製薬大手のイーライリリー社に10年間勤務(5年間は同社USA社長)。また、医薬品業界のロビー団体である、バイオテクノロジー・イノベーション協会の取締役をも務めています。

トランプはアザーが医療保険制度改革と薬価引き下げを担うことを期待しています。

住宅都市開発長官:ベン・カーソン(元神経外科医)

ベンは愛称。本名は「ベンジャミン・ソロモン・カーソン・シニア(Benjamin  Solomon Carson, Sr.:66歳、1951年9月18日生)。

この人も医師です。ベンはミシガン州のデトロイト出身、幼少時に両親が離婚し、陸軍士官学校卒業後、イェール大学を卒業。この時は心理学専攻。ベンもミシガン大学で医師の資格を得ました。

「ジョン・ホプキンス小児センター」で小児神経外科部長となります。

カーソンはベトちゃんとドクちゃんの分離手術(シャム双生児分離手術)を成功させた医師です。

医師としてはトップレベルの評価を得、2013年に引退。

その後、共和党の大統領選候補者として名乗りを上げ、撤退しました。

途中からトランプを支持し、選挙の功労人事で今回の任命に至っています。

住宅都市開発長官に指名されたのは、候補者に名乗りを上げた際に、都心近接地域の環境改善という住宅問題の政策を掲げていたためだとも言われています。

中小企業庁長官:リンダ・マクマホン(プロレス団体WWE創設者)

リンダ・マクマホン(69歳、1948年10月4日生)は全米最大のプロレス団体WWE(世界レスリング・エンターテイメント)の元CEOです。

1980年代からWWFの運営に関わり、90年代末からテレビ番組に登場(プロレスラーではなく、当然、一出演者として)。

09年にCEOを辞職し、2010年11月にはコネチカット州の上院選に出馬。共和党候補となりましたが、民主党候補のリチャード・ブルーメンタル州司法長官に敗北しています。

2012年上院選でも共和党候補者になり、民主党候補のクリス・マーフィー下院議員と戦っています(落選)。

共和党の支援者でもあり、このたびの大統領選挙では番組で接点のあったドナルド・トランプを支持しました(リンダの夫はWWEのイベントにトランプを呼び、会場を盛り上げたことがある)。

トランプはマクマホンを「彼女は従業員13人だったWWEを800人以上の世界的団体に育てた」「彼女は米国の起業家精神を国中に解き放つだろう」と評価しています。

労働長官:アレクサンダー・アコスタ(元フロリダ国際大学法科大学院長)

16年に労働長官に指名されたアンドリュー・パズダー(CKEレストランツ・ホールディングスCEO)は不法移民を働かせていた問題が発覚。

店舗従業員から不祥事(低賃金で働く従業員への賃金引上げ拒否が原因)で訴えられ、スキャンダで上院での承認の見通しが立たなくなりました。

トランプは、労働省から「監督される」側にいたファストフードチェーン経営者を労働長官に据えることで行政を変えようとしたすが、パズダーは指名を辞退。その後、フロリダ国際大学法科大学院長のアレキサンダー・アコスタを指名しました。

ホワイトハウスHPの記事によれば、アコスタの経歴は以下の通りです。

「彼は三代にわたって大統領から指名され、上院の承認を得てきた。その地位の中には全米労働委員会委員も含まれている(※これはブッシュ政権時代)。アコスタはヒスパニックで初めて司法次官補となり、フロリダの南部で合衆国地方検事として働いた。13年以来、アコスタは、フロリダのヒスパニックコミュニティで最も大きな地方銀行であるUSセンチュリーバンクの議長を務めてもいる」

トランプは、同を「米国人の機会均等を熱心に訴えた」人物として推し、同の長官就任は「米国労働者を支援するために労働省を率いる自信を与えてくれる」とも述べていました。

「米国経済、製造業、労働力を再活性させるわが政権の目標を達成するためのキーパーソンになる(原文はキーパーツだが、人間なので、キーパーソンと意訳)」と評価し、期待を寄せているようです。

(出所:President Donald J. Trump Nominates R. Alexander Acosta to be Secretary of Labor | whitehouse.gov 2/16)

トランプのコメントはかなり力が入っています。もともと白人労働者票を得て当選したので、労働長官人事は同政権にとって非常に重要な位置づけにあります。ヒスパニック系の取り込みも図っていることも見落とせない重要なポイントです。

教育長官:ベッツィ・デボス(慈善活動家/米児童連盟委員長)

ベッツィ・デボス(60歳、1958年1月8日生/カルビン大卒)は夫婦で投資会社を設立し、会長を務めていました。

義父は米直販大手のアムウェイの共同創業者です。

産経記事(12/11:1面)によれば推定保有資産は51億ドル!。

共和党への大口献金を行う富豪で、ブッシュ(子)大統領が再選された2004年大統領選では資金集めに大きく貢献しました。

1996年~2000年、2003~2005年に共和党のミシガン州委員長を務めています。

16年の大統領選ではジェブ・ブッシュ元(フロリダ州知事)等を支援しましたが、党内融和の一環として閣僚入りしています。

デボスは全国児童連盟会長を歴任し、学校選択の自由やチャータースクール(民間運営校)普及、バウチャー制度の実現等を訴え続けてきました。

しかし、教育や行政の経験はないので、上院での指名は難航しました(その後、承認)。

トランプはデボスを「優秀で情熱的な教育家だ」と評価し、学校選択の自由の実現と教育行政における官僚主義を打破を期待しています。

農務長官:ソニー・パーデュー(元ジョージア州知事)

パーデュー(71歳:1946年12月20日生)は、酪農やトウモロコシ、綿等を栽培する農家に生まれ、1972年にジョージア大ヴェリナ医学校で獣医となりました。

父からは「しっかりと農地を手入れすれば、農地が我々の面倒を見てくれる」とも教えられたそうです。

パーデューは、幼少時から身に着けた農業の仕事だけでなく、軍歴(米空軍に入隊し、大尉で除隊)や獣医としての開業経験など、幅広く見識を磨いたのち、11年ほどジョージア州上院議員を務め、2003年から11年までジョージア州知事を務めました。

初めての共和党知事として、教育や福祉の改善、雇用の創出(20万人以上)、財政赤字の解消に努めています。

大統領選ではトランプに農業政策をアドバイスしました。

ブルームバーグでは「トランプの大統領選勝利は、景気回復を望む農村部の有権者から強い支持を得たことが一因」だが、「米国の移民法が一段と厳格に運用された場合、農業事業者は労働力不足に陥る恐れもある。不法滞在の労働者は米国の農業労働力で大きな割合を占める」とも報じられています(「トランプが米農務長官にソニー・パーデュー指名へ-関係者 (1)」1/19)。

パーデューは、政府はあらゆる障壁を廃して農家(生産者)に事業拡大の機会を与えるべきだと信じ、食の安全確保に努めるとともに、米国農産物の輸出拡大を目指しています。

米国は国内で消費しきれないほど、豊富な農業生産力に恵まれているからです。

今後、日本に、USTRとともに農産物の輸出拡大を要望してくることが予想されるので、我が国はきちんと答えを用意しなければなりません。

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