今日も、誰か知らない誰かが、同じページを15回観ている。。なぜなの?
私は、書くことが好きです。
大好き。絵も 描くことが大好き。見ることも大好き。
だけど、大好きだからって、「書かなきゃいけない」って思いながら書くのは、嫌いです。
書きたいって思う時 これは、私の場合だけど
出会うんです。
この時 時間 この出会った「瞬間」に感じた何かに、メッセージを送りたい。
とか
彼氏いたんですが、捨てたんで、今いませんが、
彼氏居ても、いなくても、
目の前で、惚れる男 惚れる女には、巡りあうんですね。
誠実な男だから、惚れるとは限りません。
デリヘル行ってるのを自慢げに語る男・そこらへんで残飯漁ってる男、変態露出狂男
このような男でも、惚れる場合があります。
なんで、惚れるのか?わかりません。
ただ、すごく興味をそそられる。
追跡し、どんな経緯からそうなり、その顛末へと向かったのか・・
未知の世界の生物です。
逃したくないのです。
ただ、途中で、つまんなくなったら、捨てます。
でもね。
興味を持ったことは、無駄になりません。
ひどい女なのかなあ・・・
私は、人間に近づくのが、苦手ですが
人と会話をすることも大好きだし、ただ、長時間会話すると、イライラしてきて、相手を攻撃してしまうけれど、それでも、私は、人と会話することが大好き。
人に触れることは、出来ませんが、怖いから。
だけど、触れることが出来ないから、会話したくても会話を成立できないから、
すごく近くにいるのに、別の世界の生物みたいで
離れがたいのが 私の大好きな人間です。
人間を理解することは、私も人間に生まれてきたから、努力しなきゃだけど
義務からではなく
興味から、好奇心から
手を伸ばしても、決して届かない生物だと解っていても
手を伸ばさずにはいられない。
決して、傍に居たくない生物だけど
遠くから その別世界の生き物たちの生き様をみていたい。
私は、特別な生き物ではなく
同じ人という生き物なのに
同じ人という生き物を恐れてる それが、私という人間のマニュアルです。
誰とも違っているわけじゃない。
そこらへんにいる、ぱっとしない生き物かもしれない。
私は、その認識の仕方を、教えてもらったので知っていますが
私にとって、人と そこらへんにいる人 の違いはありません。
人は、人だから。
理解してもらえないことは、辛いけど
私が観察してきた この別世界の生物 人は、
「人同士で、誰かと比べたがる。差というものさしを持ちだして、人にランクを付けたがる。肩書という生物学的性質名を付けたがる」
私に見えるのは、
「髪が生えてる人もいれば、禿げてる人もいて、男と女という生き物に別れてて、体型も違ってて、生殖器というものが、同じ生物なのに違う。そこに、よぼよぼで年老いた生物がいて、本来生物として、細胞がしっかりしている若い人のほうが、生態域では勢力を増しているいるものなのに、「肩書」というランクが、その年寄りにはついているばかりに、若い人は、その肩書にひれ伏している。」
とても、不思議です。
ありえないから。
そんな年寄り、若い人の力で、勝負かけたら、若いものが勝ちそうなのに、年寄りを前にした若い人は、「暗黙的に、ひれ伏す。」
この光景を、社会にでて見た時、びっくりしました。
この生物の生きる世界では、年寄りに体力がなくても、力ある者を
手を触れることなく、服従させることができるのです。
あの紙切れもそうです。札束という紙切れです。
上下のみ、本物にして、中身を、新聞紙の束にした映画でのシーンをみたことがあります。
人は、その札束の 上下の絵柄に注目はしていません。
その「札束の厚さ」に注目しているんです。
それをみせただけで、人の中には、フレ付す人がいる。
目に見えない力が、この生物の世界には、ある。
それだけで、この生物を観察することには、意味があります。
物語を書こうとおもって、かけるものじゃない。
かならず、時はくる。
私は、この世界の「肩書」というものを使用するだけのスキルがない。
だけど、この世界には、目に見えないこの力を発揮し、
生物界ではありえない 生態系を維持している。
おもしろい。
おもしろくてたまらない。