東京五輪おめでとう!! 水は指したくないけどね。。。

2020年開催のオリンピックの開催地に 東京が選ばれた。

おおお。それまで、私生きてるかなーー;

同情を引くわけじゃない。コメントいただいてる方にも言っとく。

下手に今から 祟りもらう必要ないんで、コメントは一切やめてもらおう。

そのための注意書きだ。

前もこのブログに書いたけど、

うちの実家は、どうも 祀ってる神さんに祟り喰らってるようだ。

最近、それがわかってきた。

一週間ほど前かな?

突然、それまで、全く!食べる気もしなかった「鶏肉」を、一日のうちに、1.5kg食べた。

それだけでは、足りず・・・次の日も、また、次の日も、ひたすら「鶏肉」を食べ続ける現象が起き始めたんだ。

これは、「来た」時じゃないと起こらない。

以前経験してる。

突然、「納豆」が食べたくなって、一日のうちに、3個入り3パックほど?食べた記憶がある。その後も、ずっと、納豆がほしくて、納豆をみただけで、よだれが出るんだ。

無性に、喰いたくなる。喰い付くしたくなる。

最近、失恋したのだが、失恋による反動か?とも考えた。

いや・・・失恋前に、すでに、「鶏肉」に取りつかれていた。

彼氏を喰いたい。とにかく、喰ってやりたい。よだれが出る。

その衝動が、激しかった。

この衝動は、納豆を欲した時にも感じたものだ。

やばいなあ。。。

自分の内側に、「喰いたい。喰い尽くしたい。ぐちゃぐちゃにしたい。」という衝動が起こる時

死んだ。過去、心筋梗塞で死んだおじさんたちを思い出す。

内側に、「喰いたい」と「食い尽くしたい」と衝動が起こった記憶と重なる時は、必ず 誰かが死ぬ時だ。

前も書いたけど、今こうして書いてるのは、私(びえい)だ。

だけど、必ず、びえいで書いてる時ばかりではないことを 知ってる。

友人から言われたことは、

精神科を尋ねるべきだ。というアドバイスであり、この症状が、「精神分裂症」によるものかもしれないという懸念だった。

小説を書いているのは、びえいである私のはずなのに、どこか、いまの私(びえい)が、書いた記憶がない。

ぴんと来ないのだ。

そして、「鶏肉がほしい」という衝動から、いま逃れられない。

2kgや3kgじゃ足りそうにない。

喰いたい。喰いたい。

このブログを畳まずにいるのは、この不安と対峙できる場所が、ここだけなのかもしれない。

必死で、冷静を装いながら、「食いたい」んだ。

この衝動が、どこにむけられるのか、わからない。

鶏肉で収まっているからいい。

ある ネットで知り合った男性から言われた言葉を思い出す。

「貴女の言葉は、死を招く。死神の言葉だ。」と・・・

おそらく、ネット上で、死者を出しちまったらしい。。

でなければ、そんな言葉を、いきなり言われる理由がみつからない。

いま、この衝動をぶつける場所は、「書」だとおもう。

「書」に、私の念を封じる。