ベルルスコーニさんは、確かに、去年も叩かれた
朝おきて、TVを付けると、「ベルルスコーニ派、猛攻。」とイタリア大統領選挙の行方が報道されていた。
最近、経済の勉強してなかったから、経済newsもみてなかった。
ベルルスコーニさんは、祖父に似ている。「女が好き」「お金が好き」「成り上がるのが好き」
素晴らしい。まさしく、男だな。
イタリア国民から、どうして指示されるのか?わかる気がする。
女の立場である私からみたら、「野獣」なのだが、
「根が正直すぎる男」は、むしろ、「純粋に見える」
「俺は、女が好きだ。女のおっぱいが好きだ。女のお尻が好きだ。」と、公然と、公衆の面前で、言葉でも態度でも示せる男は、
むしろあっぱれだ。
情けない男というのは、
「私は、破廉恥な行為に及ぶことなどしない。あの時は、どうかしていたんだ!無実だ!」と、おとなしそうな40代男性が、強姦行為に及んで置きながら、無実を公然と訴えている姿をみて思う。
日ごろから、おまえは、本当の自分と向き合ってきたか?
何かウッセキしたものを抱えていなかったか?
お前が、日ごろから向ける視線の先を直視してきたか?
お前は、本当は、どうしたいんだ?どう生きたいんだ?
社会に出れば、世間様の視線に晒される。
「自分が、世間からどう見られたいのか?」
「心地よい視線に、ずっと晒されていたい。でも、それは、自分に「何重も仮面を被せること」になる」
「そんなに世間は、おまえに注目しているだろうか?」
「ある程度の社会的地位に立つと、注目されることは避けられない。」
「本当にそうなのか?」
「うまく誤魔化せればいい。ここに、死角がある。おまえは、世間では、「真面目で誠実な男」で通ってる。世間は、決して、「まさか、おまえが?」とは思わないだろう。」
「本当にそうなのか?」
さて、この問いを、ベルルスコーニさんにぶつけてみよう。
「ベルルスコーニさん、貴方、自分の立場ってもんを考えてるのか?もう少し、考えて発言できないんですか?」
「じゃあ、国民は、どうして、私に票を入れたんだ?」
「どうして入れたと思いますか?」
「私が、イタリア男の代表だからだ。イタリア男は、イタリア男の気持ちがわかる。」
巳影は、もしも?ベルルスコーニさんに、こう返されたら、「さすが!男だ!」と誉める。