震災後の心のケアという番組を視た

心に傷を負った人へ、どう寄り添えばいいか?

というテーマ

私は、あの光景の中に身を浸していない。わからない。

「おまえに、何がわかる?なんの苦労もしてなさそうな その顔。視てるだけで、むかつく。」

ってね。びえいが、言われた言葉。震災とは関係ないよ。

無理に寄り添おうとして、無理してるのが、見透かされたとき、言われた一発。

びえいは、ものすごく腹が立った。

自分にじゃなく、相手に、吼えてかかってた。

「見た目で判断すんな! おまえこそ、何がわかんだよ!」

と・・・

心のケアをするどころか、ケアしなきゃいけない人を前に、その人と大喧嘩・・・

仕舞いに、相手を泣かせて・・・びえいは、周りから、酷い人的視線を浴びる。

人の心に、本当に寄り添うことは難しい。

傷ついてる人って

本当に、参ってて・・・誰でも良いから、傍にいてほしい。ってときに、

そんなときにね。妥協しちゃうんだよね。

「いないより、ましだ」ってね。

これは、私が、寄り添われてほしかった時の気持ちを体験してるから、そのときの私の気持ちを書いてる。

相手からの 暖かい支援・言葉ってね。かならず、共感できるか?といえば、共感できない。共感するどころか、辛いだけなんてことは、度々あった。

「貴方に必要なのは、これだよ^^楽しんで」って、手を差し伸べられて、ケアするために来た人が勧めてくれた遊びに、

その人から嫌な顔をされたくなくて、傍からいなくなってほしくなくて

無理に相手が勧める遊びを 楽しむ。

やっていれば、いつか、楽しくなるさ。って、自分に言い聞かせてね。

「少しは、まぎれたでしょ?息抜きも大切。少し、笑顔になったかな?^^」

と、尋ねられて・・・

「うん^^楽しい。ありがとう」と、無理に笑顔を作ってる自分がいた。

次第にね。ぼろが出てくるものだ。

勧められても、拒否していくんだよ。

ボランティアは、声をかけてくんだけど、次第に離れていく。

「気持ちが乗ってきたら、きてね^^」的な感じで・・・

ぜんぜん楽しく慣れなかったのは、なぜだろうな?

「どう?楽しかった?どう?まぎれた?」と、尋ねるのではなく、

「楽しかったでしょ?まぎれたでしょ?笑顔になれるから。信じて。」

と、答えを限定される。

それに、無理に答える。苦痛になっていく。

吐き出せない。どこにもね。

これを、経験してるから、びえいは、こういうんだ。

自分がされたくないから、勧めない。

教える人は、「ちゃんと、勧めてくださいよ。わかりましたか?」って指導するんだけど

びえいは、恩着せがましいことするのは、苦手なので、しない。

かといって、いっつも失敗するのが、こうして、ブログで書き綴ってることだけど

自己体験を紹介していく。100%共感なんてありはしないから、人によっては、

「押し付けがましい。消えろ。おまえみたいなやつ。」

と、言われたことはある。思念でね。。。

でもね。奇麗事並べたって、指導されたとおりのことを勧めたって・・・

びえいが反対に勧められた側だと、「重い」んだわ。

そんなに長期で寄り添えるわけでもなく、短期間での寄り添い。

関係が深くなればなるほど、頼られれば頼られるほどにね。

自分のやりたいことまで、我慢するようになる。

ほどほどの距離って大切でね。

相手のためでもあり、自分のためでもありでね。

びえいの中では、距離とってるつもりでも、少しの気の緩みから、進入しちゃって

相手を怒らせるなんてことは、度々あった。

びえいは、もう 人にはうんざりでね。

死にたければ死ねばいいし、いきたければ生きればいいんじゃないの?

と、最終的ケア方法は、放置。

びえいは、そこらへんで、自分のやりたいようにやり、

陰で、「あの人、何しにきたの?」と野次飛ばされても

放置。

そして、観察する。

はみだし者は、かならず出てくる。そいつを見つけ出すため。

まわりのボランティアが、「集まって^^」と言う中、輪に入れないやつの視線みてる。

失う恐れからの怯えた視線

うんざりしてる無気力な視線

危険なんだわ。この視線あるやつって。

だって、私が、そいつだった頃があるから。

ここまで書いて、実際の震災までボランティアに行ってないので、驚かれても困るんだけど

経験してきたことだけ書いてる。

経験がないから、人を救えない。

これが、この番組で取り上げられていた。

うんなこと、当たり前じゃん。

誰も、誰かの経験を経験できるわけない。

人が経験したことは、誰でもない。自分だけの経験だし、自分が感じた経験なので、誰とも、100%の共感はない。

もともと、相容れない。それが、他人だ。

だけど、諦めたら、そこでおしまい。

びえいも 自分に出来ることで、せいいっぱいでいいと思う。

ただ、指導者が言ってた「これで、満足したら失敗する。」っていうのは、すごくわかる。

自分が、人のためにいいことをしてる。って満足しちゃったら、相手にも伝わる。

許されるのは、恐れてる目をした人にとって、離れてしまうことが怖いから。

だけど、自己満足だと視る人はかならずいて、人を疑い、掘り下げてみていく。

心に壁を作るやつを生み出す。

私も、そうだったけど。