生きているからこそ 「己の真実」を言える

ずっと以前に、書いた記事に

「真実・事実ってやつは、100人入れば、100通りの真実・事実がある」って書いたと思う。

互いが持ってる 真実・事実 は共有できはしない。ってこと。

公に発表される真実・事実ってやつは、「すり合わせ」です。

で、いい人っていうのは、腹黒いって書いたよね?

いい人になるには、この相互間の「真実・事実」を「すり合わせ」きれないとなれません。

まったく違う考え・視点・価値観 生活環境 を 共感することは、不可能なの。人間はね。

それを、まとめるには、按配を知らなければならないし

相互の理解を 歩みよれなければ 不可能

相手を許す ということね。

相互間で、歩み寄りたい場合 「譲歩」が必要な場合がある。

その「譲歩」を うまーく引き出せる人 が、腹黒い人なんだよ^^

そして、腹黒い と言える由縁が、あってね。

人をまとめる というのは、万民の理解を得られることじゃない。

大きなお世話 って場合がある。

どうやっても、「譲歩できない」間柄だってある。

そのとき、一度 くっつけようとした相互間を、どうやって「白紙に戻す」か?

喧嘩越しで別れさせるわけにはいかないでしょ?

腹黒い人っていうのは、決断するの。そういうときは

一方によい顔をして

もう一方を 消す

つまり、いなくなってもらう。

昨日までは、いい人。だけど、もう一方にとって、このときの いい人は 悪魔だろうね^^

決断を下せるやつっていうのは、いつでも、自身を切り替えれる。

びえいが言うところの いい人っていうのは、こういうタイプね。

実直で、まっすぐなタイプ。誰からも好かれて みたいなタイプのことを、多分、いい人っていうんだろうけど

びえいは、負ける人。だけど、己に勝った人。って視方でみるんだ。そういうタイプは

いい人には見えるけど、決して勝てない負ける人

対して いい人には見えないけど、勝って いい人 と呼ばせる人

それが、いい人 は、腹黒い人 っていう意味。

で、タイトル

生きているからこそ 己の真実を言える

これはね。負ければ、自分の中の真実・事実は、捨てられる。

己の中で、収めきれるなら、問題はないよ。

だけど、あきらめるんだよ。誰からも信じてもらうことをね。

それを、死ぬというんだよ。

だけど、勝って 己の真実・事実を認めさせるやつっていうのはね。

「生きていればこそ、己の真実を言える」ことを知ってるの。

死んだら、おしまいなんだよ。口封じって意味でね。