びえいには、理解できない視線
視線ってやつを、自分に置き換えて考えることがある。
「どう?相手から観られているか?」
「どういう視線・どういう文言・どういう態度を示したら、相手が、どう返してくるのか?」
びえいは、この人間の生態の一つである、「暴力を使わない縄張り争いの仕方」を研究している。
あらゆる生物には、「縄張りがある」
「世界は、一つに繋がっているのではなく、世界は「各々」にあり、世界の接合点は、常に、「縄張り争い」をしている。」
あったりまえのことだ。当然だ。
比較しあい、侵食できるなら、侵食してみたい。
侵食し、生きながらえるなら、そうしてもいいだろう。部品として生きるのも・・・
最近、聞こえてくる「ことたま」が、そう。
つづきは、更新後に書く。