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愛の形に正論はない

また、剣風伝奇ベルセルクを読んでの感想

びえいは、こう視てる。

グリフィスが、なぜ?ガッツにこだわるのか?

友情から?だけだろうか?と・・・

びえいには、グリフィスが、ガッツの目の前で、キャスカを奪った時

あえて、ガッツに「見せた」その光景を、視ろと、言わんばかりに

つきつけたあの光景に、こう思った。

グリフィスの映像から視得た、グリフィスのこういう心情ってさ。女(グリフィス)が、愛する男(ガッツ)を、他の女(キャスカ)に奪われたと思ったときの行動に似ているんだよね。

女は、愛する男が、浮気をした場合、男を責めるよりも、相手の女を憎む場合が多いから。

反対に、男は、愛する女に、浮気された場合、相手の男を憎む場合よりも、

愛した女の不貞を許せない。と、おもいがちだから。。。

そう視たら、グリフィスは、愛する男を奪った、自分の知らない時間の間に・・・

その女が、ずっと、自分を見て来ていたはずの女が

ガッツと仲たがいばかりしていたはずの女が

そんな関係の二人が結ばれるはずがないと・・思い上がっていた自分が

なんて、おろかだったんだろうと・・・

「おまえは、俺を視ていたはずだろ。どうして?ガッツなんだ?」

と・・・許せないという気持ちになる。

グリフィスが、「女」であったなら、ガッツに対して、本気で殺せない気持ちも、

そして、キャスカに対して、許せない気持ちと・・・

受肉後のグリフィスが、相反して、キャスカを助けたのに

冷たく突き放すのか・・・という気持ちも、そう視えちゃう。

びえいには、この物語は、「愛の形に正論はない」と言ってるように感じる。

きっと最期は、「愛の完結」で終わる気がする。

ガッツは、キャスカを守り、相反して、グリフィスの想いに気づき始め

グリフィスは、キャスカを憎みながら、受肉された子供の想いと憎しみとに責め苦しみ 愛した男ガッツを殺められない自分の気持ちに気づき始めていく

キャスカは、ただ、そこにある愛する者を見守る者・・?

まるで・・・キャスカは、パンドラの箱のパンドラのようだ。。。

繋げてはいけない二人を 気づかせてしまった開けてはいけないパンドラの箱を、開けてしまった女

びえいには、この物語は、究極の家族愛の物語であり

究極の三角関係の物語であり

愛がテーマの物語であると思った。

余談

びえいが、グリフィスなら、ガッツと対峙するときが来た時、「愛する男をこの手で殺せるか?」

それとも、「愛する男の手に殺されるなら本望。」と思うだろうか?

びえいが、ガッツなら、グリフィスと対峙するときが来た時、「仲間を犠牲にした憎むべき男。。だが、そうしたのは、俺なんだろ?俺は、こいつを殺すだけの資格があるのか?俺に、こいつを殺す資格があるのか?」

それとも、「おまえの野望を果たすために、俺の命が必要なら、殺せ」と思うだろうか?

どちらが、どちらを失っても、失われる「心」

それに気づかせた、キャスカ・・・

それに気づかせた、受肉された ガッツとキャスカの子供の魂・・・

びえいには、最期は、二人が相打ち抱き合いながら、天昇していくように視得た。