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私に起こったこと記録として残す

祖父と母と父と私の視てきた 人

今年に入ってから起こったことを記録する。

いずれ、人権擁護委員協議会(弁護士会)に、みせるつもりでね。

理不尽なことが、3度起こった。今までに・・・

最初が、区長へ診断書を提出しようとして暴力を受けた6年前、民生委員を通して受け取ってもらおうとしたが、区の行事の時、稼動中の草刈機を、私の目の前に突き出し「ぶっころすぞ」「帰れ。診断書なんかよこしやがって」といった行為。

二度目が、区長への電話をすれば、「警察に通報するぞ。二度と電話をかけてくるな」と言われたので、班長に相談。最初は、態度がよかった班長が、急変する。二度目の電話をかけた折、「仮病でしょ?二度とかけてくるな」と言われる。私は、訳がわからず、電話をかけ続ける。しかし、誤解は解けず。翌日、朝9時半頃、班長が、我が家の南側庭先で、「警察に通報するからな!二度と電話かけてくるな」と狂ったように、大声で叫び声をあげながら脅される。これが、この日から、三日間、同時刻に大声で脅しをかけてくる。かなり、行動が異常だった。

三度目、今年に入って、「腰部脊柱管狭窄症」の再検査を頼むため、母が掛かっている病院で検査を受けるか?主治医がいる病院で、一年間治療を残念していたが、謝って再検査を受けさせてもらえないか、頼むか?悩む。

母の急変と在宅緩和ケアへの移行で、病院を替える可能性が高くなり、母が掛かっていた病院での検査を残念し、以前から掛かっている病院での検査を頼むことにしようと思った。(選んだ理由は、母が掛かっている病院でなら、介護タクシーの利用が出来、歩行して向かう必要がなくなるから。でも、そうでないなら、バス停に近い以前から掛かっている病院を選んだほうが、体への負担が少なくなるので)

以前掛かっていた病院へ、おととし平成9月まで掛かっていた。その後、同月母の癌が発見される。大学病院から、余命三ヶ月を告げられるが、放射線治療を26日間受けた結果、ほぼ完治。同年12月末退院。去年より1年間、母の状態が急変することを怖れ、それと共に、一時的に掛かった入院費用と交通などに掛かった費用による金銭面での負担が重く圧し掛かり(今は、プラスマイナスゼロです。)、落ち着くまで、自分の治療にかける時間を断つ。それが、1年。

主治医には、その理由は、話していなかった。地域連携室責任者を通して、掛かっていなかった期間に起こったことを話す。理解していただき、再検査を行う日を決め、診察日に一緒に主治医に話を通してもらえることになった。

しかし、思いもよらないことが起こる。

「あなたの病気は、腰部脊柱管狭窄症 といえるかいえないかの 軽いものなんだよ」と、主治医から言われる。

そして、再検査の依頼をすると、どれにも該当はしないといわれた。そのとき参考となったのは、6年前撮ったCT画像とMRI画像だった。現在の状態がわからないので、再検査を再度頼むが、

「他の病院で視てもらって。」の一点張りで、診察を拒否される。

保健所、医師会に、ことの事情を話した。今後、同病院での診察を別の科でも拒否されるのか?確認するため。

医師会が動いて下さり、診察拒否することはないとなった。

主治医の態度には、急変というか、豹変的な変わり様があり、不自然。何か、不信に感じる態度であった。

この三度の出来事は、あきらかに、「人権侵害」である。記録と残すのは、後々、四度が起こる可能性を怖れてです。

私の中で、区長・班長・主治医に対して、「著しく関係を損なうようなことをした覚えはない」

共通していることは、「豹変した」ところだ。

私は、記憶をビデオ映像のように思い出せるので、細かく思い出せる。ここに書いていることは、映像から記憶している状況を書き記している。