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さてと 笑い と 歌 の意味するところを考えよう

びえいは、

歌 は、うったえかける心

笑い は、といかける心

って、視点から捉えてるみたいです。

歌には、「言い回し」や「言葉の流れ」の中に 心の変化が、季節のように流れていて、「思いを乗せてる」「思いを伝えてる」のが視得てくる。そんな映像が流れてくるようなマジックがあるように感じてる。

一言では、言い尽くせない 思い

一言に込めた思いを 伝えたい そのための 語り

そういうイメージで、視てるのが、 びえいに視得る 「歌」なんだ。

笑いはね。こう視てる。

今の笑いは、「身近」なんだけど、「伺ってる」様子が伝わる。

お伺いを立ててるような 怯えが伝わるメッセージ力しか伝わんない。

びえいが、「笑える」お笑い師って、「音二郎」みたいな感じの人を指してる。

びえいが、「笑える」のは、「皮肉」だから。

ありえないことを、平気で笑い話にして、語る。

ありえないことなんだけど、笑いの最後に、印象として残るメッセージ。

大いに笑った後に残る 余韻 そこに、「問いかけるメッセージ力」があるのが、びえいが、認める「笑い師」なの。

お伺いを立ててるうちでは、びえいは、笑えない。

「なんだ、言うだけの、肝っ玉ねぇな・・・つまんない」ってことね。

当たり障りのないメッセージなら、いくらでも、ありえないこと言えるから。

あたりさわりあるメッセージだから、笑えるんであって、

冷や冷やさせられるから、あぶなっかしくって、笑えるんであって、

みんなで、笑うから、ごまかせるだろw って楽観感持てて

「綱渡りしてるような ぎりぎりのメッセージ語れるような、問いかける度胸のある笑い師」が、いない。

歌には、力がないなんて、違うよ。歌は、「活力」になるから。

笑いは、道筋を立てる力があるよ。お伺いを立ててる内は、笑いとは認めないけどね^^