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避難するためのルートが限られる町

どこの町の造りでも共通してるのは、

海沿いに沿って、鉄道も国道も敷かれてるってこと。

まっすぐ!山に向かって、通ってる道が少ないと思う。

以前書いた日記に、鉄道の走る方向に、避難すれば、助かるという意識を植え付けるという方法について書いたと思う。

国道でもいいんだけどね。

車だと、あらゆる方向へ流れる「導線に影響されやすい」ので 向かない。

鉄道は、「音」と「形状」が特殊なので、周辺地域の住民ないし、訪れた旅人に認識されやすい利点がある。

どの車体とも比べることのできない特殊な形状の「電車」を目印に、避難すれば、多くの住人を避難することは可能。って話。

で、その続きだけど

「一点を目印にすれば、入り口は、狭くなる」

ただ単に、「鉄道の方向を目印に」なら、人の集中を一点に集中させない手立てはあるけど

私が住んでる町は、やっかいな問題がある。

避難するために、どうしても、トンネルを通らなければならない。

海沿いに続く道の先にある ながーーいトンネル

山を越えるために通る ながーーーいトンネル

海沿いのトンネルは、アウト おそらく、人が集中して押しかければ、皆死ぬ。

山越えのトンネルは、狭い。ここの他には、車両が通れる道は、ない。獣道のみ。

いったん、事が起これば、間違いなく孤立することは、免れない地域。

私が住んでる地域の住民の中には、「町は、うちらを助けはしない。」という悲観的な流れがある。

警察に、尋ねたことがある。

地域を誘導できる者を派遣できないのか?ってこと。

「できない」と返された。理由は、公費の削減とか、税金の無駄遣いになるからとか、あんま、理由になってない理由。あほらしーー;

薬局に聞いてみた。水没する可能性のある地域の薬局5件。母の薬もらうついでに。

「町からは、薬を確保する場所とか、どこで、医療に当たるか?とか、指示はでてますか?」と・・・

返答は、「町からは、なんの要請も、指示もされてない。」だった。

もちろん、医療の要請については、母の主治医に聞いてみた。

先生たちの態度を視た上で、びえいが感じたこと。

どの先生も、笑いながら、「そのときになってみないと、わかんないからねぇ^^」だった。

諦めモード?

呆れてるというか、真に受けていないというか、地域医療の問題点はわかってるみたいだけど、

他人事のように受け答える態度。

ちょっと思い出したことがある。

この町の総合病院同士の繋がりについて、びえいは、個人的に問題はあると感じている。

母の手術で、総合病院を渡り歩いたとき、感じた違和感。

「かかりつけ医がいる患者とは、一線を引きたい。」というのが、病院同士のアツレキを産まない方法だと思ってる医療従事者が多い。

交渉の窓口である、地域連携室の責任者とのやり取りで、それを嫌というほど感じてきた。

びえいは、短気なので、言っちゃったけどねーー;室長さんに・・・

「この町は、これだけ、総合病院があるのに、なんの連携も取れてないんですね。なんかあったとき、そうやってたらい回しにするんですか?」って・・・

えー それで、室長が、動いた。−−;びえいが、動かしてしまった;;

条件付きだったけどね。

「あくまで、かかりつけ医の指示に従ってくださいね。あくまで、「今回だけ」ですよ?いいですね」

これが、譲歩条件だ。地域医療は、崩壊していると びえいは 視てる。

一介の雇われ医者が、病院の利益がらみないし、訴訟に発展しかねないことには、個人的な意見は述べられない。って、背景が視得る。

悪い意味での連携だな。と、感じる。

「ここに、役場が関与するためには、「双方の利益が絡むことには、お互い隠し通す」風潮が根付いているので、なかなか、一歩先に進めない」ことが視得る。

最初から、腹の探り合いで通してきた関係なので、一旦事が起これば、なんにも機能しないってことね。

末端で働いてる組は、それを、知りきってるから、呆れるしかないんだろうか・・・

薬局で、雑談交じりで会話してた薬剤師のおじさんから、帰る間際に言われた言葉は、「そんなに心配なら、高台に避難してください。それしか、われわれは勧められません。」だった。

この話をする気になったのは、町役場が「既成事実を作ろうとする動き」を、最近感じたことがあって、不信に感じたいままでの事を思い返してみてるとこです。

数日前、びえいは、道路工事責任者の方と雑談を交えながら、津波に関して、役場から、どんな要請がされているか?聞き出していた。

そのとき、びえいは、こういったんだよね。

津波に関する話し合いが、こちらの地域ではされていません。」

この話のあと・・・

おととい、津波に関して地域住民を集めて、話し合おうという知らせが来て話し合いがされた。

びえいは、参加しなかった。

内容は、おばさんたちの大声で、だいたい読み取れたので、問題なしb

なんのための話し合いだろう?と、びえいは、感じた。

「町の既成事実」だと思ったのは、それから。

町の中には、「避難場所を確保できてる場所」と「話題にも出てこない場所」とがあった。

びえいの家の場合、ただ単に、情報を流されてない場合もあるけどね。

そうなら、違うかもしれないけど、そうでないとしたら?

話しあいはされたけど、行動が視得ない。って背景が視得てくるんだよね。

これは、よく使われる手なんだけど

責任者が、責任を逃れようとするために、よく使う手がある。

「既成事実」を作っておいて、あとから、問題提起されても、「事実はあった」と押し通す逃れ方。

たとえば、後から、ある問題が起こり、責任者に、責任追及をする場合、問題責任を問うのに、「事前の危機管理はあったか?」を調べる。

事前に、想定範囲内は、どのぐらい設けられていたか?とも、

どんな努力をしていたか?ともね。

ここで、「なんの危機管理もされていなかった事実」が露見されれば、100%責任追及される。

これを、逃れるには、「事前に、既成事実」を作っておく必要がある。

それが実行されれば、「話し合いは、した。」「努力はした」「想定を超えていた」という言い逃れができる。

100%の責任は、免れる。

びえいには、話し合いはされたようには、視得るけど

その先が、あるか? は、期待できないだろうなと感じてる。

というのは、「半年以上も経って、今?話し合いなのか?」という印象として映ってるから。