人の勝手さは、じゅうぶんみてきたから、いまさら、めんどくさい

親切心で、手を貸したあと

金を要求される。さらに、「親切心寄こせ」って要求。

母が、されていたのは、そういうやり取り。

母とよく喧嘩になったのは、母の人の良さに漬け込んで、金を要求してくるやつらとの関係を絶つことに対してだった。

やめとけ。この女は、やばい。と言っても、聞かない人だったな。

その一人が、あの女だけど・・・

どんだけ、金がらみなんだ?あの女と

だいたい金なんて持ってないのに、どうして?こうも金を要求されるんだろ?うちの母は・・・って、小さい頃は思ってた。

あんだけ啖呵きるのに、人が良い。

ああ。わかった。そうか。

母も、都合の良い盾 だった。誰かさんと似ていると思ったのは、それでか・・

最悪だーー;

母を視てきて、学んだことは、人は、金が絡むと

金が無くても、あっても、人の欲は、「人の親切心」を利用してくる。

さらに、引き出させるため。絞り取れるだけ、絞りつくすために、それを煽る。

骨の髄まで、「あるでしょ^^ね。貸してよぉ」「お母さんのためですよ;;」って

びえいは、玄関から睨み付ける。

「いりません!」「お引取りを^^」

それでも、やってくる 金の亡者

どうしても、家畜と畜農家では、畜農家の吸血率が高いので、

畜農家は、より注意すべき生物だと判断してる。

余談

家畜は、エサほしさに、愛嬌を振りまいてくることはある。それに負けたら、畜農家でも、家畜によって、操られてしまう。

「金あんだろ?出せ。おまえの体で稼いでこい!」なんて、家畜が思い上がった顛末。畜農家は、家畜に要求されるままに、高級食材を提供し続けるため、身を滅ぼすという背景。

畜農家によって、ある程度の等級まで育てられた家畜は、うちの兄みたいに、他にもエサを求めて、複数の畜農家に育ててもらう。

ジゴロとも言うけど、あれは、女ったらしという意味じゃない。

エサを求めて徘徊する家畜の成れの果てが、ジゴロなんだ。それが、正しい。