アナログ飼育に見向きもしない家畜への進化
暴言と取られるとは思って書いてる
このタイトルにしたのは、「マザコンとは、なんぞや?」と、人類をみてきて、思ったから。
母からは、男と女の関係について、擬似的な説明ではあったけど
「男は、等級のついてない家畜」
「女は、その家畜を飼育する畜農家であり、吸血鬼の名も持つ「家畜を喰らう生き物」」として、教え込まれてる。
っていうのは、おそらく、男が、女の体を貪り喰う世界を視て来て、そういう見解になったんだと思う。
背景を想像すれば、びえいの場合、男と女の関係は、真逆のように思えたんだけどなぁ・・・
母と話す。
最近の男性って、どう?って
魅力ない。っと返してきた。
びえいは、不思議に思ってた生態について、母に話してみた。
実際の女(アナログ)を必要としない男が増えてきたんだよ。不思議でしょ?
そう言って見て・・・びえいは、気づいた。
草食系男子というのは、アナログ飼育をめんどくさいと思ってる進化した家畜
と仮定してみれば、このデジタル化時代に、男性が求める女性像というのは「デジタル化された飼育体制」だということになる。
要するに、「性欲」「食欲」を満たしてくれる「アナログ」としての存在を求めるよりも、「デジタル化された畜農家」を求めてる傾向にある。
つまり、アナログとしての存在の「女」を必要とする時代は終わり
デジタル化された「家畜飼育システム」に慣らされた家畜が増えてきたということだ。
だけど、盗撮サイトやアダルトサイトを視ることあるけど、男を満足させるために「女を集め、男に捧げる供物として扱う職業」は、「アナログの存在には、利益を生み出せる可能性が残されている」と知ってるから、この職業が、世の中から消えないということだし・・・(なのに、なぜ?アナログを必要としない家畜が増えてきたのか?)
デジタル化された飼育システムに慣らされた家畜への進化
デジタル化された飼育システムとは、簡単にいえば、アナログ(実際の女性)ではないデジタル(擬似存在の女性)に「こんなふうに接してほしい」「こんなふうに食わせてほしい」という「願望(飼育システム)」を合体させた家畜育成システムを指す。
母に、水商売で女を使って男から金を巻き上げる仕事してる人って、どういう存在なの?って聞いた。
「鵜飼い」と答えた。 びえいは、「ん????」−−;
畜農家についても考えよう。
畜農家一人一人は、常に、自分が所有している家畜の「素行を調査」し、「他の畜農家に、家畜が奪われるのを監視」している。
畜農家にとっての家畜の価値は、「等級をあげる」ことに焦点を当てているか?それとも、「ある程度の等級がついたものを食す」ことに焦点を当てているか?で、同じ畜農家でも、性質を、「吸血鬼より」「畜農家より」とわける。
畜農家で、最高の腕を持つものは、「家畜をよく慣らす」
つまり、マザコンというのは、「家畜を慣らすほど愛した」畜農家に育てられた家畜を指すのかもしれない。
最高の腕を持っているので、自分が育てた家畜が、他の畜農家に「等級を落とされる」のを、嫌う。
ないし、「吸血鬼より」か?「畜農能力の格付けをみて」か?で、厳しく監視している。
なので、マザコンといわれる家畜は、この最高の腕を持っていると「自負している家畜を愛しすぎた畜農家」からの監視を、一生受け続けなければならない。
手塩にかけて育て上げた、ここまでの等級にあげるのに、どんだけの金をかけたと思うんだ・・・というプライド
これが、背景にあると思う。
それが、度を行き過ぎると・・・吸血鬼よりになる。
他の畜農家の腕で、「等級を落とされる」ぐらいなら、私が食すと・・ね。
そういう狂気的な愛し方が、あるなと思う。
これの成れの果てだろうか?・・・デジタル化への進化とは
アナログの飼育能力は、「母性」によってコントロールされる。
度を行き過ぎれば、家畜はストレスから「肉質を落とす(ストレスから社会能力を発揮できなくなるということ)」
肉質を落とす飼育方法をしていれば、家畜の等級は、どんどん落ちていく。
つまり、いつまでたっても、出世しない。肉質は落ちていくのみ。
最期には、「食されることさえ興味をもたれなくなる」
つまり、捨てられるないし、これ以上の等級をあげるだけの投資に値しないとみなされ、干される。
アナログが、「給料、いつあがるの?」「浮気してないでしょうね?」と、言う背景を考える。
自身の家畜育成能力に自信のない畜農家が、横行している。ということ。
自信のない畜農家が横行すれば、家畜は、どう視るだろう?と思う。
家畜は、自身に「優しく接してくれる飼育家」「ストレスを与えない環境を与えてくれる存在」「とにかくうまい飯を食わせてくれる「最高級のエサ」を与えてくれる存在」を求めてる。
自身の等級をあげるには、その全てを補ってくれる存在が、アナログであれば尚良いが、デジタルで手に入るなら、それでもよいと思ってる。
畜農家として、能力を発揮する自信に欠ける 畜農家が増えている現実
勘違いしてるのが、家畜になろうとしている畜農家が増えてきている現実がある
だから、家畜が、家畜になろうとしている畜農家を 「求める存在」としてみないのは当たり前
ライバルなのだから。
じゃあ、このデジタル化された「家畜飼育システム」が確立された世界で
進化しはじめている 双方の生態は
どこへ向かえばいいんだろう?と思う。