たまに視る NHK教育 深夜放送 明治大学の講義 欧米思考と日本JINの思考

今日のメモ

びえいが、視得てなかった部分

今回の為替の動きで、注目しなければいけなかったことは、「全体を視ること」だった。

視えていなかった部分は、「この危機的な状況でも、上昇に動く背景を支えているもの」は、「直近の報道」でも、「口先の要人発言」でもなく

日に日に、変化する「国同士のかけ引き」から、「協力し合う動き」を見逃したこと

国同士の「協調姿勢」だった。

びえいには、どうしても><、「現実視してなかった「危機」を、今ようやく「やばい」と感じ初めて、慌てて協力しなければいけない。と動き出した「国同士の焦り感」のほう強く、この状況をよしとみてなかった。

だけど、欧州は特にみたいだけど、「強調」「協力的」な姿勢を「感じて」

びえいみたいに、「焦り感の強さ」から危険視する見方よりも

「やっと、協力しはじめたか」という安堵感を抱いたみたい。

びえいには、どこに、安堵感があるんだろう@@?ばかか?って感じだけど

欧州は、これを、好感するんだ。へぇ・・・って、勉強になった^^v

なるほど、欧州というのは、「それほど、奥底まで視ない」んだ。と思った。

欧米思考 と 日本人思考について、講義してる番組がる。

NHKの深夜番組 明治大学の講義で

びえいは、難しい言葉はわからない。

ただ、以前、愛変と会話してみて、「物の捉え方」が、ぜんぜん違うと感じたことを思い出した。

たとえば、「Tearm」と「チーム」の違い から受ける印象が、欧米と日本では、どう違う?って講義が、この前あった。

愛変と話したとき、愛変は、「Tearm」としての「参加」的思考を持ってるやつだなって思ったことがある。

「このTearmに、命預ける気はないけど、俺のポジションをしっかりやるだけ」という発言から、受けた印象からだ。

日本だと、「チーム」は、「このチームのために、チームを守るために、俺の命使ってください」とか、嘘でもなんでも言うとこある。

「このチームに入れて、幸せです。死ぬまで、付いていきます」的な発想が、日本的チームの存在価値

欧米思考だと、Tearmってのは、「命預けるところじゃない」

目的を達成させるために、結成された「一時的な集まった者たち」って存在価値

それを感じたんだ。

おもしろい。ドライだけど、暑苦しさはないけど、「まあ、さっぱりしてて、くどくない」

日本的な思考で思うと、「チーム」は、ファミリー的発想なのかもしれないけど、欧米は、そうじゃない。

うーん。びえいは、地球人類の発想が、よくわからない。

どっちでもいいと思うからだろうな。

でも、これが、為替の世界では、必要な「意識の転換」に繋がる。

日本的思考で読めば、欧米の思考は読めないってことが、今回、わかったから。

びえいは、まだまだだなって痛感した。

だけど、おもしろい。また、搾り出すおもしろさが増えたから。