目の前の一瞬の感情と 相反する感情 三つの気分
びえいの中の「感情の流れ」は、びえいにも、意味不明
たとえば、「嬉しい」感情で満たされているときがあったとする。
こういう感情を、「他と共有」したいか?
それとも、「個人でのみ浸りたい」か?
といえば、答えは、上でもあり、下でもあり。
上でもなし、下でもなし なんだ。
三つの感情が、交差する。
嬉しいはずなのに、「吐き気が来る場合がある」
嬉しいはずなのに、「怒りがこみ上げる場合がある」
嬉しいはずなのに、「無感。一事象に過ぎないことに、何を騒いでる」という客観的な指示を受ける場合がある
その反対に、もっとも係わり合いたくない相手に出会ったとする場合
感情では、不快。関わりたくないはずなのに・・・
関わりたくないのに、「利用しろ。使えるなら・・・」という指示
関わりたくないのに、「分析し、処理する。指示に従え」という指示
そして、「嫌い。離れたい。逃げたい」という拒否感があるのに、逃げられない、関わりたくないのに、関わらせようとする意志
これが、びえいの中の「三つの感情」
その 人物の性格を視て、人の その人らしさっていうのは、
理性的な とか 感情的な とか 人格を「一つの枠組み」で表しやすいように、「ポイント」を固定させる。
まあ、一概に言えないけどね。
人が、ある一人の人物に出会うとき、「印象は、常に変わる」から。
というのは、前にも話したけど、「出会いは、一度きりじゃない」ってこと。
びえいの場合は、よくわからない。
びえい自身は、出会えてよかった友はいる。
けど、出会えて幸せだったとは思ってない。
鏡だからだろうな。全てが。 びえいを 探求する 鏡
どんなに出会っても、びえいを 見つけ出せないけどね。
私は、「三つの感情」に責められる。
ここで、このブログを書き始めて、「怒りから書く」場合もあれば、「憤りから書く」場合もあれば、
愛情から書く 場合もある。
そう言ったら、「気があったのか?」って、誰かさんが、勘違いするので、ちゃんと説明するけど
気はない。けど、気がある びえいもいる。
その気というものが、恨みからか? 憎しみからか? それとも、愛情からか?は、どれも、 違う と 言えて
どれも、正解 と言えるんだ。
それを、説明するために、あえて、 おみぃさん 黒巳ちゃんと 分けて説明する場合もあるかもしれない。
それを言ったら、二人は、「嘘は、良くない」と否定するけどね。
こんなことがあった。
目の前に、友人がいた。
私は、その友人のことが、好きだ。だけど、その感情以外の感情が、もう「二つ」存在してるんだ。
「消したい」こいつを・・・ と
「獲物が来た」という ね。
私は、友人に出会えたとき、同時に 三つの感情が発生している。
彼が、好きだ。 彼を、消したい。こいつ、なんで来た?ふん・・・ と
また、材料が来たわね^^ おもしろい。 とね。
そして、困ったことに、いたずらが絶えない。びえいのね・・・
「困ってるよ。やめてよ!」と、やめたい びえいの拒否感と
喜んでるびえいの 「なんでだ?やめる必要ない。もっといたぶればいい。」という恍惚感。
「どうなるか?様子を視させていただく^^」という分析をする 冷たい びえい。
常に、同時に その場 その場 に、三つの感情が同時にわき上がってくる。
友人に会えて、幸せなのに、同時に、びえいは、友人に会いたくなかったし、いたぶってやりたくなるし、その様子を視たくなる。
それが、びえいの中の、どうすることもできない 三つの感情。
それで、泣かせた友人だったやつは いた。
だからだろうな。私は、気の弱そうな 友は入らない。
心臓に毛が生えて、脳ミソにも毛が生えていそうなぐらい 強靭な神経の友でないと、びえいは、近づけないから。
少なくとも、今までこちらで出会った 組の中には、少数だったけど、
多少 毛が濃い 神経の 楽観的かつエロいおやじが一人
それと、人間ではない言語を持ち、世界一「プライドが高い」鼻持ちならないやつがいた。
彼らは、神経に 毛が生えていたので、 びえい を舐めてくれていたので、
びえいは、安心できた。
言っとくが、これは、悪口じゃない。
正等な 評価だ。
神経が細かく、繊細すぎる者は、おみぃさんが、いたぶりたくなる。
はあ・・・と、今ため息。
開放されたいと思いつつ、この三つの感情のおかげで、助かってる部分もあるので、複雑な びえいの 一生を送れるんだけどね。
うまく説明できないな。これが、精一杯。