鉢呂さんを擁護する訳じゃないけど びえいは思ったこと言う

「死の町」って言葉だけど、

私は、普段でも使う。この言葉

私が住む町は、まさしく 死んだ町だ。

商店街は、みな閉店 だーーーーれも、人っ子一人いない?ぐらい閑散としてる。

ここが、町の中心だった。

百貨店一つなくなっただけでこれだ・・・

人が集まって 初めて 「生きている町」って言える。

だけど、人がいない。人が住めない。そんな町は、死の町だ。

死んだ町。

人の気も知らないで・・・って、周りは言うかもしれないけどね。

私は、これ以上に、傷つく言葉を人に言っているし、人から傷付けられる言葉も、何万回って言われてきてる。

許せ?って言いたいのか?だって。まさか。私は、一生許されない者 だ。

これは、生きている者皆も、そうだよ。

一生の中で、「一生許される者」なんて、存在しない。

記憶が、忘れることを許さないからさ。

だから、自分は、いつか許される者だなんて思わないものだ。

一生許されない者だよ。誰もが皆ね。

これが、ネガティブに聞こえた人は、そこまでしか読めなかったと思うことにするけど

鉢呂さんの発言一つ 「死の町」呼ばわり。

近くにいた人に、「おまえも、移してやろうか?放射能を」って発言。

いただけないな。確かに

許せない。確かに

だけど、びえいは、 気にしない。こんな言葉ぐらいでね。

こんな言葉 以上 の言葉を、何万回と言われたし、何万回と言ってきてるから。

びえいは、誰もが、「失言する生き物」だって思ってるからさ。

「この言葉が、誰も傷つけずに済む言葉か?」は、人付き合いの中で、わかってくるだろうけど

私は、あえて そんなルール、ぶちやぶる。くそくらえだ。

そんな「針山の上を歩くような人付き合いなんて、ぶった切る。くそくらえだ。」

たまった言葉は、必ず、「ポロっと出る」それが、本心を隠せなかった顛末。

人は、「言わずには、いられない生き物」だからだよ。

「俺は、私は、一生、びえいみたいに「人は、言わずにはいられない生き物」だって思わない。今まで生きてきて、「一言だって」人を傷つけてない」

って言うなら、人なんてみんな、「鈍感で」「自信過剰」なだけ。

気がついてないだけ。

鈍感で、自信過剰な生き物が、人。

びえいは、それが、人間って生き物だって思ってるから、

鉢呂さんの発言なんて、「蚊が止まったぐらいにしか感じてない」

そんな 蚊 が止まったぐらいで、復興が遅れるってことが、馬鹿馬鹿しくて

滑稽でならない。

いまの この国は、「蚊」程度の「痛み」で、大儀を成せてない。

他国から、馬鹿にされても、びえいは、「そりゃそうだろ」って思う。

蚊の「痛み」で騒ぐ 民をみて、びえいは、

一生許される者なんているのか?

人は、一生許されるだけの行為をしてきたのか?

って、問うよ?

誰かを責めるだけのことをしてきたのか?誰もが・・・