駅 って、なんだろ?

私は、 駅 から改札口を抜けて、「町の扉(顔・表情)」を開く。

「町の扉(顔・表情)」こそが、 駅。

そう思う。

この町は、「町の扉」を抜けた瞬間、「これが、この町だ。これが現状だ。」と感じさせる風景を作り上げてしまっている。

閑散としてる。名物のまんじゅうの店の看板だけが、妙に、インパクトがある。

それ以外は、前々市長が、おったてた「少女の像」が、閑散とした中で、「違和感」を放ってる。

ちぐはぐだなぁ。

閑散とした風景 と言えば、寂しいけれど、

ちぐはぐ・ばらばらの「各々の市民の試み」で飾り立てた風景に、「町の扉」を抜けた瞬間の印象は、最悪のものだ。

ポイントポイントで、インパクトはある。けど、「一つの風景」を感じさせない。

「人の息遣い」が感じられない「静けさ」を感じる独特の雰囲気。

マイナスイメージだけ取れば、そういう印象を与える。

だけど、

これは、「落ち着いた雰囲気の風景」とも取れる。

マイナスイメージと取れば、そう。だけど、マイナスを極めれば、プラスになる。

ありったけの「マイナスイメージ」を、「静けさのある町の顔」にすれば、どうだろう?

それが、マイナスの追及。プラスへの転換。

「町の扉」前後の駅の「顔」も、あるようなないような、「死に顔」。

「町の扉」である「駅」の前後を繋ぐ「駅」にも、ドラマがほしいと思った。

この町には、前後の駅同士を繋ぐ「本数」が、限りなく少ない。

車を利用する人が多いからって理由で、「町の扉」を中心に、前後の「駅」同士は、繋がりが恐ろしくない。

本数がないってこと。遠方から来られた方から尋ねられたことがあるけど、

「ここって、一時間に1本どころか、朝の6時半に一本と夕方の7時に一本しかないの?」

「そうですよ。お客さんが利用することがないんで、本数増やせないそうです」と答えた。

遠方から来た方は、こういってた。 私と意見が同じだったので、書くことにします。

「駅から、ショッピング街まで、二三分のところなのに、次の駅からも、その先の駅からも、利用者がいないからって理由で、本数減らしてるの? もったいないねぇ」

うん。私もそう思う。利用者がいない。と断定する理由が、「決め付け」だ。

全ての市民が、車での移動しかしないと決め付けてる。

旅行者だっているはずだろ。レンタルカーで来られる方よりも、駅を利用されてこられる方のほうが多いと思う。

なぜ?果敢に攻めないのか? 駅は、顧客を逃してる。

三つの駅の「顔」を、「テーマ」を持たせて、「流れるドラマ」のように利用して下さったら、

ショッピングへの顧客の移動も、街の景観と雰囲気を親しまれる時間の提供も、

その「駅」を通して、市民との交流も「おもてなし」という形で・・・

全ての駅に、「町の扉」に、「ドラマが流れる」

そんな雰囲気の町作れると思うのにな。

もったいない。