細分化していった結果 どんぶり勘定が出来ないしくみ

専門用語がありすぎて、私には、すごく解り辛い。

「スキーム」という言葉の意味を調べようと、ネットを検索。

この過程を客観的にみていて、「時間かかるなぁ」と思った。

私は、どんぶり勘定が好き。

「とりあえず、「こんだけ、どーんと、かかるだろ」と決めて、お金を用意しておく。 それが、初めてにやること。

用意できない場合は、クリアさせる順番を決める。

第一段階は、AとBを復興させる。それには、どんぶり勘定で、「大方、こんなもんだろ」で、今用意可能な金額で、見積もる。

AとBの復興に、どんなものが必要か?「見積もった金額内」で、収められそうか?「大方、どんなものがどれだけ掛かって、合計したら、こんなもんか」で、決める。

それで、1年目ぐらいに、だいたいの「道筋」とそれにかかる「必要な物」が、細かい部分にわたって、はっきりしてきたら、「はっきりしたきちんとした勘定」を出す。

投入した資金よりも、あんまり掛かりそうにないとわかれば、他まわせばいいし・・・・(簡単に運ばないだろうけどね。一度もらった金は、手放したくないから。それが人だから)

最初に選ぶAとBは、根幹だよ。「たとえば、漁業をAとして、農業をBとするなら、Aが復興すれば、加工業が復興出来る。魚介類を運ぶ運送業も仕事が出来る。獲れた魚介類卸す店にも仕事が出来る。その魚介類を求めて観光に訪れる旅行者を迎え入れる旅館にも仕事が出来る。Bが復興すれば、同じように「仕事が出来る道筋」が出来るよ。」

根幹って、「魚介類」一つで、あらゆる仕事が生まれる。「果樹野菜」一つで、あらゆる仕事が生まれる。そういうものだから。

専門用語も使わず、「あいまい」に、こうやって書いたけど、思わないかな?

世の中、「特定の人たちの中で通じる「言葉」が、徘徊しすぎてる」ってさ。

これって、文化だし、その時の「トレンド」かもしれないけど、

何か起こったときに、「だれでもに通じる「言葉」」で話せる人がいなかったら、そういう配慮がなければ、

「言葉の意味」を説明するのに時間が掛かって、「先に進めなきゃいけない事」に、目を向けなければいけないのに、「集中ができなくなる」

だから、遅くなってると思いませんか?

同じ国の人なのに、「国語辞典」を引きながら会話を進めなければ、復興計画が進まない状況が視えてる。

話にならないと思えば、「国語辞典」を必要としない人たちだけで集まり、復興計画の話し合いが、あちこちで始まってる。

「俺たちについて来たければ、まず勉強しろ」が、この「復興」の妨げになってる。

あんまり細分化しすぎた結果、だーれも、「わかりやすい言語」を使わない世の中になった。

言葉が通じない同国の人同士で、復興計画を進めるには、どうしなければいけないんだろう?

私に視えてるのは、世界共通言語の「ジェスチャ」で、最終的な会議になってる姿。

「とりあえず、どーんと こんだけ かかるだろ」って言える人いない。言っても、「馬鹿は、ほっとけ」か「綿密に練ってからだろ」とか、

それか、「素人らしい考え方だ。話の通じないやつは、排除しろ」ってのが視えてる。

「言葉」に壁を作ると、「知識分野」に壁を作ると、「程度」を決めるとね。

否定するんだよ。「俺たちとは違う考え、低脳・・話にならない」ってね。

話してみたら、関わってみたら、確かに、イライラすることばかりで、

こんなやつに関わる時間が惜しくなって、同じ考え・知識を共有する者同士で固まってく。

そうして、細分化していく。文化が。

どんなに細分化しても、「他者を認める」という意識が繋がっているなら、

はやく纏まるよ。でも、それがあるかい?

自分を振り返ってますか? 当たり前のように、自分が発している「言葉」が、

誰でもが、納得する「わかりやすい」言葉だと、振り返れる?

でも、こんなこと言いたいんじゃない・・・

ばらばらでも、どこを視ても、その人その人なりに真剣に考えている姿が視えてるよ。

とりあえず、出来るとこからやるしかない。だから、多少ばらばら感はあっても、しかたのないこと。

それを、納得しなければいけないことが、悲しい。

真剣に頑張っているから。

今、このことを言っても、どうにもならないよ。

どうにもならないことを、どうやっても「これでいいのか?」と問いたくなるんだよ。