母が倒れた日 母の友と名乗り近づく女 私を怪我させようと企てる偽善者

きっと、こんな気持ちを知ったのは、初めてだと思う。

今、これを書こうと思えた

憎い 許せない

一生許せない

確信だけ出来る。

あの女は、母を放置した。

母が倒れた日、前日、母と喧嘩をして口を利いていなかった。

母が夕方6時、入浴する。音でわかったから、7月24日(母の誕生日前日)

「ちょっと、出かけるけぇ」と言って、入浴後、どこかへ出かける母

返事は返さなかったけど

夜9時ぐらい、電話が掛かってきた。

母は、どこへ出かけるとも言わずに、出て行っていた。遅いな・・と思っていたとこだった。

「あんたんとこのお母さん、家に来てるんよ。連れて帰ってくれんかな」と

意外な人物からの電話だった。

母が、もっとも警戒し、慎重に付き合っていた女性

仮名「マコちゃん」 母の幼馴染と聞いてた 妬み深い性格だとも母から

「あの女は、命を取る 気を許したらいかんよ。」と、小さい頃から、母から言われていた。

小さい頃は、また、変なこと言うなぁ・・うちの母は・・・と思ってた。

母が言ってたことは、正しい。

その言葉の意味を知ることになったから。

マコちゃんの家に上がった。

彼女は、台所で、手を仕切りに洗ってた。

「すいません。母がお邪魔してるようで・・」

「上がって。寝てるから起こして連れて帰ってくれんかな」と、普通に返事を返した、あの女は

私の目に入ってきた母の姿は、異常だった。

口から泡を吹き出して、真横に倒れている。だらんと首が垂れる。

「起こしてよ。早く。連れて帰って。もうこんな時間だから」

「いや・・おばさん、これおかしいよ」 あの女のあんまりにも普通の態度が、異様だった。失笑してた。

「寝てるんじゃないの?」と返すマコちゃん。

「タオルありますか?口に詰まったら危険だから」と頼んだけど、

「いらんやろ?起きんの?もっと揺すってみたら?」と平気で言ってくる女

私が、あの女の様子の異様さに不信を感じていたら、あの女を視ていたら

私の視線を逸らした。

「タクシーで帰る?呼んじゃろか?」 また、何言ってくるんだ・・

口の中の詰りを拭い取って、冷静な状態ではなかったけど、

「救急車呼んでもらえますか?」と頼んだ。

「え・・・」あの女は、嫌な顔をした。 呼んで。おばさん。と目で訴えた。

「ああ・・わかった^^電話するわぁ」と言って電話かけてもらった。

笑った顔覚えてる。冷静に笑った顔。

救急車は、10分ぐらいして付いた。家に入ってきた。

私は、映像で覚えてるから、ビデオテープみたいに流れるよ。今も、あのときのことが

私は、母を仰向けにならないように、気管に泡が混じった内容物が詰まらないようにしてた

救急隊員の方が、「代わります」と言って、母を託す。

「すいません。あなたは?」

「娘です。」

担架に乗せられて母が、救急車に運ばれた。近所の人たちが、野次馬のようにして、群がってた。

「お母さんどうしたん?」と聞いてくる真向かいの家の人。答えようがないから、無視。

あの女は、どこにいったんだろ 

母が運ばれていくとき、私も一緒について救急車に乗ったのだけど、あの女の姿が見えない。

いた。近所のおばさんたちに、しきりに説明してた。

何を言っているか、わからない。だけど、私の視線に気がついて、目を逸らせた。

あの女は、おかしい。 おかしいと思ったから、映像になって覚えてるんだとおもう。

母は、搬送先の病院で、その後主治医になる「つっちー先生」によって命を救われた。

母が、退院したのは、入院して、一週間意識レベルが落ちている間を除いて

三ヶ月間 

あの女が、病院に現れたのは、その意識レベルが落ち着く頃 退院一週間ぐらい前

病室には現れず、「近くに、用事があったから、ここに、お母さん入院してるって聞いたんで^^」

妙なことを言うやつだな・・・と思った。

マコちゃんが、母の見舞いに来たのは、その「一回きり」だった。

退院後、母は、自宅で「在宅介護」をする選択をした私とそれをサポートして下さる方たちによって、痴呆はあったけど、まともにしゃべれるぐらいにまで回復していった。

あの女は、家によく来た。退院後、「退院日」もいっていなかったのに、

「よかったなぁ^^退院出来て、みよちゃん(母のあだ名)、もう元気になったん?」と、母に話しかける。

ほぼ毎日来た。母に話しかけて、母の態度を視るようにして、帰っていった。

「おかあさん、あんまりしゃべれんの?」と聞かれたので、

「脳疾患性の痴呆と麻痺でしゃべれません。」

「そう^^」と、笑った。 このときも、違和感を感じた。いつも笑顔。

気味悪いぐらい笑う。

母の「在宅介護」が落ち着いてきた頃(半年後)、私達家族が暮らす地域の清掃日があり、私は、参加した。

私は、そのとき、片足がうまく動けないでいた。原因は、わかってた。

腰部脊柱管狭窄症。薬を飲み始めて、いくらか症状は和らいできていたけど

日常生活で気をつけることがたくさんあった。ケアマネに、「在宅介護」出来るだろうか?悩みを相談してた頃だった。

誰かに相談しようにも、相談できる人がいない。

病にかかった者は、病を抱える気持ちを共有できない。誰とも。

他の人から見て「これぐらいのことが?」と思うようなことが、「できない」から。共感できない。

それでも、誰かに、状況を知っていてもらうしかない。拒絶されること覚悟でね。

隣近所に、母の病状と私の抱えている病気で、日常で気をつけなければならないことを、パソコンで作成し、「ファイル」にして配った。

もしものことがあったら、どうすることも出来ないので

配った当初は、快く受け取ってもらい、協力していただけた。それが・・

「どこが悪いん?本当に、悪いの?」

「持ってみて。持てるでしょ^^それぐらい」 30kはある重いものを持たせようとした。

「みんな普通にやってることよ。なんで、あんた出来ないなんて言うの。若いくせに、わがまま言うもんじゃないよ。はよ!持ちなよ。」

ファイルを配った近所含めて、区長・班長、が、私に「命令」してきた言葉です。

この中に、あの女がいた。

「さっさと!持ちな!わがまま言うんじゃない!」と、態度を変えて、言ってきた。 笑顔^^で

私は、無視した。無視してたら、どぶすくいのシャベルで、私の背中を殴ってきた。

大声で言ってきてたから、気がつかなかったんだろうけど、

殴ろうと構えている姿を、野次馬たちが、見てた。

寸でで、私は、殴られなかった。

区長に抗議したし、班長にも言ったけど、返された言葉は

「ぶっ殺すぞ。俺に、この班で関わらせるな」「この班には、癌がいるんだ。そいつらと関わりたくねぇんだよ!おまえが関わるのが悪いんだ」

狂ったこんな男の言葉に、区を治める能力はなし。抗議するだけ無駄だった。

班長に相談した。そしたら、いきなり、泣かれた。

当時班長だった人は、何か隠してた。「班内のいじめで、私は、二度と元には戻らない体にされた」と、私に泣いて訴えた。

相談したら、愚痴を聞くはめになった。。。こんなやつらが、「長」かよ。。と思った。

でも、班長の言った言葉で、班内に、陰湿ないじめ体質があることはわかった。

区長は、「おまえ、いじめにあってんだよ。しかたないわ。せいぜい頑張れ」

「もう、俺に言ってくるな。わかったな。今度電話かけてきたら、殺すからな。いいか、わかったな!」

嫌なぐらい、覚えてる^^あの暴力区長の罵声。

すぐ、警察に相談した。「こんな電話していいの?あんた、やめときな」と言われた。警察も、大したことはない・・・

「どうせ、殺されたら、事実を捻じ曲げられるんです。」と抗議。

「事が起こらないとね。こっちは動けないんだよ。わかるでしょ」面倒くさそうな警察の対応。

「私が、死んだら、動けるんですね。」と問答。疲れる警察との会話。

地域包括センターにも相談した。「あなたは、疲れているんです。お母さんをショートステイに預けて、休息を取りましょう」

まったく話にならない。

民生委員に相談した。いくらか信頼して頼んだのだけど、事実とはまったく違うことを言ってきた。

民生委員を間に入れて、「診断書と迷惑をかける日常気をつけないといけない点・出来ることと出来ないこと」を書いたファイルを3部作成。

それを渡し、民生委員さんから、区長・班長に渡してもらいたいと頼んだ。

「渡しました」と、間違いなくいってた。

それが、いつまでたっても、意味不明なことを言ってくる「近所」の態度に不信を感じ、区長選出会が近かったので、直接、役所に抗議し、担当民生委員に確認を取るといったので、聞いてもらった。

確認のために、役所に再度電話をしたとき、「民生委員は、受け取ってもらえなかった」と言っています。と返してきた。

「渡したと、聞いたんですが?おかしいですね」

「いいえ。渡せなかったと言ってますよ」

困ったもんだ。

役所の態度・民生委員の対応・警察の「やめといたほうが、あんたのためだよ」脅し

こいつら、みんなつるんでる。

「民生委員さんが言ってましたけど、あなたが言うような酷い人じゃないよ。区長さんは。と、言ってますが」

民生委員は、二度、区長と掛け合ってくれた。一度断られ、二度目も。(本当かどうか、疑わしい。今では)

ただ、診断書と母の病気の状態・私の病気の状態を書いた資料を渡すためだけのことなのに、区長は、受け取らなかった。

異常だ。主治医にも、そのことは話していた。

私は、このことがあってから、一年間、家の全てのカーテンを閉じた。誰とも、関わりたくない。

誰も信じられない。

誰も信じられないのは、もう小さい頃からお馴染みのことなので、大したことはないんだけどね。

危険なので。起動中の草刈り機で、「ぶっころされてぇか!」と脅してきた区長。

「母の容態が悪いので、区の行事に参加できない」と伝えるために電話したところ、班長から、いきなり「警察に訴えるよ。二度と電話かけてくるな」と脅される。

そして、あの女。マコちゃん。

母の「記憶が戻らない」ことに安心したみたいで、その途端から、態度が変わる。私に、どぶすくいのシャベルで、殴りかかってきた女。

そして、両隣近所に配ったファイルは、「もらってない。知らない」と通され、

もみ消された。

そのことも警察に話した。「私が死ななければ動けない」というような返答。

ただ、警察が動けるように出来る方法があると、言ってくれた。

私が、警察へ毎日電話その後のことだよ。

「民事不介入なので、事が起こらない限り、出動はできないんだよ。だけど、「不法侵入」なら、動ける。「脅迫」なら、動ける。」

「メモしといてね。何があったか?どんなことがあったか?どんなことをされたか?記録を残す。」

とね。アドバイス。このやり取りをやったことは、ケアマネージャーにも話した。

なるべくは、「罰金」を払って、「集会や行事には参加しない」というアドバイスを受けた。

「何かあったとき、お母さんは、誰が守るんですか?」という忠告。

笑ってしまった。無駄なんだよ。あいつらに、そんな手なんて通用しない。

背後に、あの女が絡んでる。そこまでは、証拠がないので、話せなかった。

あの女。マコちゃんは・・、母が通っているデイサービスセンターに顔を出す。

そのことを知ったのは、サービスセンター職員の方から、「お母さんのお友達だという方が、慰問に訪れましたよ^^」と知らせてくれたから。

友達・・・ そんなはずない。

母は、長年日記を書き続けた。読んだことがある。

「あの女から、娘を守って下さい。私達家族をお守り下さい。」

「あの女を地獄に。マコは、妬みが激しい。恐ろしい。」

「マコに必ず天罰が降りますように」

母が、書いた日記に、何度も、マコちゃんの名が出てきた。

友達であるはずがない。

私に見せた「笑顔」と「殺意」

こんなことを書いたら、本当、ブログ今日でお終いかもしれないけど

私に、何か起こることがあったとしても、事実は、捻じ曲げられるから。

このブログは、私が生きた証だから。

もしも、私に、何かあったときは、あの女に消された時だと思うよ。

私は、「権力」というものが、どんなに卑劣で、姑息で、暗黒で、

表に視えてる部分が、いかに取り繕われているか・・・散々視てきたから

ただ生きるって、簡単なことじゃない。