風化による油断 怖れよりも欲が勝ること
「いけないとわかっていても、やってしまう」
「危ないとわかっていても、やってしまう」
「あいつがやって大丈夫なら、俺もやろう私もやろう」
「なんだ!平気じゃないか やろうやろう なにも起こらないから」
生業をするのに効率が悪いと思えば、人は、危ないとわかっていても、「当面は大丈夫」といって、
危ない方へ危ない方へ、一歩 歩みだす
風化は、誰にも止められない。「おきて」を作り、「戒め」を作らなければ、防ぎようがないよ。
そんなことできっこない。自由の世界なのだから。
これを防ぐ方法があるとしたら、「風化を見越して、誰もが忘れても、残る「しくみ」と「根付く物」を作るしかない」
誰もが忘れ去って、「これは、なんのために、こうあるんだ?」と、不思議に思う頃、災害が、また再び起こっても、「気がついたら、それが、守ってくれていた」そんな物。建物。しくみ。
誰もが忘れ去って、「言い伝えで、薬草が植えられている地がある」とだけ、誰もがに、伝え聞いて知っているような頃、「何のために、そんなものがあるんだ?」と不思議に思う頃、災害が、また再び起こって、
避難先で、「薬が切れる」そんなことが起こった。
誰かが、「この地には、昔から薬草が植えられて、雑草化している」ことに気がついてくれれば、その薬草が、命を救う。
「風化」を見越した「しくみ」と「建物」と「口伝え」が必要。
災害の無い国からみたら、
「なんのために、必要なんだ?そんなもの」と思えるような
時が立てば、「なんのためだったのか?」と、誰もが、忘れてしまっても
機能しつづけるしくみ。
今、どんなに努力して、作り上げた災害対策も、風化を前にしたら、脆いんだよ。
必ず、風化はする。
風化を見越した「しくみ」を作らないと、意味がない。
誰かが忘れてしまっても、ちゃんと機能するしくみ。