学者は「自分を疑うことを」 トップに立つ者は「お山の大将にならないことを」

知識がある。この分野に対して 自分は、絶対の自信を持ってる。

だから 大丈夫だ。

だから 問題ない。

根拠のない自信。

自信を付けるために、怖さを克服するために、学んだ者も入れば、

好奇心 から 知識を欲求し、求めていった結果が、「その道の第一人者」

根底に、怖さがある。根底に、好奇心がある。

脆いのは、「その世界の中の征服者」だということ。

「その世界(学んだ分野)」に、危機が来れば、脆い。

危機など来ない。という自信が、それ。

「怖さを知ってるから、学んだ。好奇心があったからここまで来れた。」

自信を保つために、自分にかけたまじない。「私は、大丈夫だ」「私に間違いはない」という暗示。

この暗示をかけている限り、この人たちは、「真坂」が来るという意識を持てない。「危機管理」を持てない。

「これだけやっていれば、大丈夫。」という自信が、危機管理の乏しさ。

トップに立つ者は、「お山の大将」に陥りやすい。

「怖さ」がある。「まわりの目がある」ことへの意識。

「こう、あらねばならない。」という、形にこだわる。

「自分には、出来ない。」「自分には、力がない。能力がない。」とは、言えない立場。

そう思ってるだけだよ。

自分を「断ち切れる者」でないと、トップに立つ資格はないよ。

まわりがどう視ようと、どう視られようと、その意識を押し殺して、

「自分には出来ない」と念じて、心を落ち着けてみれば、

「どうすれば、自分には出来ないことを、出来るように出来るだろう?」って考え始める。

「私は、出来なければいけないんだ。」という意識。これは、いつも、必要だろうか?

「己に才能がない」と認めることも、トップに立つ者には必要です。

「己に才能はない。だから、「このビジョン」を実現するには、才能ある者を集めよう」

と切り替えられる者が、優れたトップだと思う。

トップの仕事は、「ビジョン」を形に起こすために結集して下さった方たちを、サポートすることだから。

「私は、こうであらねばならない。」という意識は、「はだかの王様」と同じ。