人が集まり 村となり 町となり 国となり

私は、市民学舎というものが建ってほしい。

小学校でも中学校でも高校でもなく、市民の学び舎という一つの学舎があってほしい。

そこは、世代による意見の違いを、認識しあい、「接点を生む」場所にしたいから。

私の中で、民主主義とは、「民が、民の志で、投資した金で、よりよい国を作る。」そういうイメージ。

だから、「政治への参加は、まだ早い。」とか言って、4歳から19歳までの国民が、政治に参加できないしくみは、おかしいと思ってる。

消費税が導入された時点で、彼らにも「政治への参加権」がある。

お小遣いだろうが、一度子供にあげた金は、子供のもんだ。子供がお小遣いの中から払ってる税だ。だから、子供にも参加権はある。

税とは、徴収されるものではなく、民が「俺たちの生活をよりよくするために、みんなで、一箇所に集め、これから、困ってるところがあれば、そこに使い、将来の災難災害に対して、貯蓄するための保険金」だと思ってる。

必要とされる緊急時の金は、「緊急を要する」ので、「正確な金額」ではなく、「時間が優先」される。

だから、そういうときに徴収されるお金は、「大方見越した金額」を算出し、徴収し、時間をおいつつ、「正確な金額」を定めていく。

責任が生じた場合は、緊急を要することがなくなったことが見越された時、責任追及ではなく、「なぜ?そうなったのか?どこが問題があるのか?」改善を図るために、問題点を全て明るみにする。それがもっとも大事なことだよ。

責任を取らせるのは、その次。

今必要とされない場合の金は、将来見越される緊急時を想像し話し合い、急を要しないので時間があるので「正確な金額」を算出できるだろ。

この場合は、じっくり話し合われた「プラン」を民に公表することが先で、「民」を「市民学舎」ないし、結集できる場を設け、意見をもらう。全ての民が結集できるスペースがなければ、TVを使い、ネットを使い、地域ごとの意見を「集め」、それに「賛同し協力できる企業の声」を集める。

民が、こうしてほしいとおもっても、それを実現できる者が、「賛同できない・集まらない」のなら、実現できないから。

そのために、企業に払う業者に払う金が、「こうしてほしい」と声をあげた民が集めた金だから。それこそが「税」でなければいけないと思う。

私の中で、民主主義とは、こういうイメージ。

教育を見直すべきだと思う。このごろ。

政治への参加は、4歳から参加させるべきだと思ってる。

子供だから、政治は難しいだろ。という考えが間違っていると思う。

難しいからこそ、人と人が関わりあって、意見し、問題点を改善していくことの難しさは、早ければ早い段階から始めたほうがいい。そこに、「子供を放り込む」ことが大切なんだよ。

国をまとめ、国を支えるのに必要な年数は、人の一生分ぐらいの年数をかけてやっていくのが政治。一生の始めは、二十歳からじゃないよ?

20歳になってから、いきなり、「君たちにこの国の未来はかかっている」なんて、バトンタッチしても、起動しない。

学び舎は、「小さな国」の形。「政治を体現する場」でもある。

私が、思っている学校とは、そういう場。

私は、この国のいう民主主義をこう視てる。

「自分たちの民主主義」を知らない者たち。

長い年月をかけて、世間様に体裁を整えるためだけに「わかってるふり」をしてやってきた。

わからないなりに「こんなもんだろ」でやってきた。

いいかげんな「民主主義モドキ」。

明治維新から今まで、まだ、発展途上なんだよ。なにものからも、脱却していない。脱却されていない。何も変わってない。

民は、自らの国を築こうとしてるのに、国の中心は、答えていない。

それが、私が視てきたこの「無国」。50余国に「志」分かたれた国。