スーちゃんに、感謝します 天国でボランティアよろしくお願いします

今日、スーちゃんの遺言が、紹介されてた。

天国に行って、被災で亡くなられた方たちを助けます。

最期まで、被災された方たちを、被災地を、ずっと気遣って、頭が下がります。

救うっていうのは、勇気が要ります。

だって、相手が、助けを必要としているかどうか?わからないから。

あきらかに、誰かが手助けをしなければ、どうすることもできない状況を想像できないと、「最初の決断」ができない。

助けにいこう。という意志です。

助けにいくべきか? 見た目には、「なんの変わりもない」様子。そんな状況もあります。

そんな状況では、助けが必要なのか?わからない。

自分が、同じ境遇でなければ、到底「想像できない」辛い状況ってあります。

抱える「傷の深さ」は、「量で計れない」

時間でも計れない。視方を、角度を変えても計れない。

計れないし、理解してあげれない。経験してないのだから。

だから、他者が、「傷ついた人に出来ること」って、「寄り添う」ことぐらい。

それぐらいなんだよね。

「誰にも、声を発して、「助けて」と言えない」状況だってある。

そんなとき、相手から、「おせっかいだ」と言われても、「土足で、踏み込むな」と言われても、「無視」されても、どんなに否定されても、

一定の距離感保ちながら、遠くから、寄り添う。

寄り添うって、出来そうで、難しい。

相手に、「視線」を感じさせては、だめ。 

思いの強い視線は、相手を苦しめる。

必要だな。今、声をかけることは。ってときだけ、声をかける。 

相手が、拒否ってる時、自分が、声をかけてあげなきゃ。って思った分だけの「声かけ」は、相手を怖がらせる。「回数」じゃないから。「タイミング」だから。

だから、すごく難しい。このボランティアが、出来る人って、尊敬するよ。

スーさんは、それが出来てただろうなって、思う。

補足

私は、それやって、いつも、嫌われてた。

それは、「ストーカー女」って言われかねないしつこいやつだからw

解ってるのに、よくやるわ。って自分で、自分にいってやがる。

私が助けたくなる人は、万民じゃない。変なことを言うけど・・・

私は、変態が好き。

私は、変態が好きなので、変態ばっかり応援する。

たとえば、私が尊敬する「伝統を守る職人」も、私の大好きな変態です。

一つのことに、命をかけて挑む姿を見ると、「そこまで夢中になれるものを持ってる」って、他にも生き方色々あるのに、なにもそこまで、命かけないでもいいのに・・・って思うんだけど、それを言ったら、変態は、

ばかやろう!俺は、これに命かけてるから、俺なんだ! って

堂々と言い切る。それが、変態の生き方。

かっこいいんだよ。変態というのは、「生き方」を、貫く人だから。

そんな変態がね、変態らしからぬ「普通で、つまんない行動(自分を殺す生き方)」をすると、無償に腹が立つ。

変態は、変態だから、価値がある。

自分を、「普通の人」と無理やり「定義」しようとしても、根が変態なのだから、無理だと言っても、無駄なことをしようとする変態のあがきに、

いかに変態なのかを、知らしめる。

ここまで書いて、自分で笑ったw(気管に入ったので死にそうになった)