息抜き必ずしなきゃね 出来ない人たちだっている だけど しなきゃ へばっちゃうよ

とても、ヒンシュクを買うと思って書いていなかった「想像」

描く

「ゲームをすること」による「最大」の利点は、「現実を一時的に忘却できる」

「没頭させる魔力」があるってこと。

「集中力」を培うことが出来るので、「ぼぉーー」とした「時間」を過ごす毎日に、「刺激」を与えることができる。

ただ、今までに体験してきたゲームには、「生を培う要素」が欠けてた。

ゲーム上で出会った人たちが、その出会いから「絆」を生み、その「絆」から「絆」へ広がっていく背景は、「生を培う要素」がないとは思わない。

だけど、「没頭」させるために、「リアル」に支障を来たす「長時間プレー」をようする「ゲーム内容」には、

「生を培う要素」は、見られない。

この受け入れがたい「現実」は、「長時間」その場に居ることが、耐えれないと思う。

でも、受け入れるしかない。目の前にある現実から逃げられない。

リアルは、ゲーム画面で、画面を切り替えるように替えれないから。

だから、子供たちにも、お年寄りにも、「息を抜いてもらえる時間」を、今与えたい。

「没頭する時間」が、より疲れを与えるという意見もあるでしょう。

だけど、「忘れることが出来る時間」がほしい。という思いだってあるとおもう。

ただ、それを提供するにあたって、完全に、リアルと切り離した「現実逃避できる場所」を与えることは、私は、違うと思う。

リアルで起こっている「それ」に立ち向かうために、

勇気を与えられるのは、「希望」

「希望」は、たった一人の立ち上がりから始まることだってある。

私が想像するのは、「それ」を乗り越えた「自分」を想像すること。

「それ」に立ち向かい、「共に乗り越える仲間の姿」を想像すること。

そして、「仲間と共に、達成すること」

「乗り越えられる」という「達成感」を、復唱するイベント。

そんな「ゲーム」が、今、彼らに生を培うために必要な「気力を与えること」に繋がる気がするんだ。

それが、今、「ゲーム」に求められることのような気がする。