国造り この国を生かすも殺すも うちら国民

私は、こんな体だから、力仕事でお手伝いできない。

絵を描くことも、まだ怖い。応援で、ごめん。

声を送ろうにも、美声じゃないしね

だけど、報道から伝わる「悲しみにくれる人の姿」

ずっと、その様子が流れていると、「みんなで、泣いてちゃ、だめだ」って思うの。

街の復興には、「金」がいる。

その金が、どっから融資されるんだ?おまえが出してやるのかよ?って、自分を責めるよ

私は、大金持ちじゃない。

口だけ。本当に、口だけ。応援するだけ。無力だ。

だけど、それでも、いい。

この口先だけの女の書く言葉を嘲ってくれていいよ。

できることしかできない。できることをせいいっぱいする。

みんなが、ずっと、ずっと、悲しみにくれてたら、「灯火」が消える。

消しちゃいけない。消えたら、だめ。

絶対、消しちゃだめだ。

気仙沼の人たちの多くが 前向きに 「気仙沼は、まだここにありき」「死んでねぇぞ。気仙沼」って、声をあげてる。

「ふるさと」って、私にとってのふるさとは、「大嫌いな思い出の地」だけど

多くの人にとって、「岩手育ち」「宮城育ち」の意地があり、愛着がある場所だと思う。

ここで育った。この地の良さ。この地で育てた「名産」というのは、意地。

気仙沼産の牡蠣を調べていたのはね。

都内で、名産の牡蠣を振舞うお店があって、そこでインタビューを受けていたお客さんが、

「あそこの牡蠣を愛しています。私は、復活を待ってる。」って答えられていたの。

これを彼らが聞いたら、悲しいだろうし、悔しいだろうし、

「届けたいんだけどな・・すいません」って気持ちになるだろう。

そこで、こんな状況だし、全滅だし、諦めるしかないよ。って、私は、彼らに言えない。

どんなに不可能でも、可能かもしれない。どこかに、可能にする方法があるかもしれない。って、うちらが思わなきゃ

「まってるよ。」って、言ってあげなきゃ だめなの