読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

気になった言葉だったから、私なりの意見言わせてもらう。もし、読む気あれば、読めば?

ときどき、私は、こう書くことがあります。

「私の中の事実」そして、「他者の事実」

これでいう「事実」とは、「視え方」です。

真実は、一つじゃない。

いや、一つしかないよ?って言われても、「事実」は、

視る者によって、「視え方」が違うんだよね。

貴方がいうところの「物差し」だよ。これが、私のいう「事実」

たとえば、私には、「彼ら」は、「怖れ」から、事実を発することができないように視える。これは、私の「彼ら」に対する認知の度合いと「彼ら」から「感じた」もの。目線や顔のてかり具合・喉ぼとけの突き出方とかも、視ます。

私は、観察と経験から判断して、「恐れている」と判断し、そう感じたのは、こうこうこういうことが視えたから、そうなのです。

はい。これが、私の中の事実です。

これが、よーーーく認知してる者で、ダチで、背景を知ってたりする者には、「違うよ」間違ってる。

あんたは、「彼ら」のことを 知らないだろ?

「知らないだろ?」 そう。これが、「他者の事実」だよ。

物差しってさ。それぞれの感じた・経験値・認知度とか色々まだあるだろうけど、

万民が、「これで、一致」って「事実」を導きだすのは、難しいってもんだよぉ

私は、変なことを言ってしまうとしても、少しでも、「他者」に近づこうとして、勇気を持って、敵対的発言をする者を買うね。

だって、ほっとけばいいのに、わざわざ、刺激するなんて、

私と同じ「馬鹿」だから^^

たった一つの答えは、導きだすのに、ものすごく時間がかかる。

だけど、だから、おもしろい^^

答えは、一つじゃない。事実は、一つじゃない。

視え方は、一つじゃない。物差しは、一つじゃない。

誰もが、「まったく違う」 だから、楽しいんだよ^^

だーれも同じじゃないから、私は、大好きなんだ。

「自分と共感できる者なんて、世の中の権力からの圧力によって圧殺される場合だってある」

「人の怖れは、簡単に、事実を捻じ曲げる。それが、「裏切り」ってやつ」

「でも、「裏切る」は、意思。道が違うと思えば、決心する勇気」

「共感が100%あっても、違和感を1%感じただけで許せない」

「違和感だらけなのに、なぜか、気になる「1%の共感」」

私は、憎しみながら、どうしたら、彼らを守れるか?考えてしまう。

不思議でならない・・・

私と同じ苦しみを持っていながら、苦しみに甘んじている他者。

少ながらず、家庭の事情を知っている。

彼らは、私を「汚い血、穢れた血」と蔑む。

上等だ^^ って思ってる私が、いつの間にかいたりする。

油断すれば、いつ殺されてもおかしくない状況でもね。

でも、国が動かなければならない「弱者」がここにいる。と思えば

切り替えられる。

私だけの問題だろうか?地域の限界が来てるサインだろ。これは。って

ね。

視方は、一つじゃない。それを教えてくれるのは、この「憎むべき他者」に出会ったときかもな。

「あんばい」「だきょう」「ほうべん」「ごまかし」

全部なきゃ、「万民が納得する事実」に到達しないよ。

でなきゃ、一つの事実を出すまで、徹底的に批判し、吊るし上げ、責任追及なんてしてたら、

一人だけで「国王」になったほうが、いいでしょ。

私が、この国を、「無国」と仮定したのは、

「日本人」として外国に行ったとしても、「私は、日本人ってよりも、○○県民です。」って言うほうが、しっくり来るんじゃないかな?って感じてるから。

そう視てるんだよね。

「日本国は、1国だけど、無国は、50余国なんだよね」

1国としての「国民性」を感じたことがないんだ。

50余国の内の「国民性」なら、いつも感じる。

だから、「一つ」になることが難しいことを痛感する「民主主義」が、とても、甘く認識されているように視える。

また長くなった^^ 読む気になったら、読んでくれたら幸いです。