「どこかで、産んでるだろ」という男の言葉 自分の遺伝子を半分継いでる「命」

私は、順番が、逆だったかもしれない。

父との「AV鑑賞会」は、男という体の役目 女という体の役目

そして、男らしさ 女らしさ

そして、男の求める「女」

女の求める「愛されたい」

そして、金 金が絡む 人間関係

抜け出せない「裏」からの呪縛

「血」と「吐息」と「金」

まわりが、とても新鮮で、無邪気で、呆れる。

この時代に、この国に、新たに生まれてくれる「生命」を歓迎してあげれるだろうか?

そう思う。

セックス以前に、そう思えるのは、父の性教育から、「生命」の理を冷静に受け止められ、恥ずかしがらず、それはそれと、受け止められたからこそ、

この時代に、このときに、この国に、新たな「生命の種」を宿すことが、果たして、「女性」にとって幸せだろうか?

どんなに結婚しても、離婚率のほうが、高い。

何度も別れ、何度も出会い、

新たな 継父 継母

血の繋がりのない不安 愛されていたのか?自分は?

自分の存在の意味 

私だって、本当に、死んだ父の血を分けて生まれてきたのか?わからない。

父の不安が、今ならわかる。「俺は、貧乏くじ引いたんじゃないのか?愛せるのか?俺の子かわからないのに」ってね。

女だってね、愛した男の子を宿せたら、そりゃ嬉しいけど

スティングってやつはある。タイミングが悪かったなんてある。

避妊は、本当に重要だよ。

「つけて」って、言えないのは、私は、絶対許せないんだ。

できちゃってから、「おまえ、誰の子か、わからないんだ」

「ごめん、愛せない。おまえ、誰のか、わからないし」

って、言われる子供の気持ちになると、産んだ相手だろうが、仕込んだ相手だろうが、殺意が湧く。

うんで、もっとも殺意が湧く相手が、再婚相手。

「おまえ、あいつ(再婚相手の)の子だろ。俺には、関係ねぇから」

結婚したら、最低でも、16年間は、「家族」でいろよ。

それが、できた「子供」への礼儀だろ。

喉から、搾り出して言ってもね。

「愛せないのよ。もう」「愛してないのに、いっしょに居て、おまえ、幸せか?」

って、子供に「問う」 両親の言葉は、卑怯なんだよ。いつもね。

大人の都合。男なのだから、女なのだから、いつかは、飽きる。

どこかで、自分の子供が、ひそかに産み落とされても

「どっかで、産んでるだろ・・・愛してやったのに」

誰を?奥さんを?

子供は?産まれてきたんだよ・・・「産まれてきて、ありがとう」って

言ってあげれる「家族」がいない。

あなたの子供は、「ありがとう」って言葉を知らない。

私は、わかるよ。「産まれてきてくれて、ありがとう」

この言葉を、まわりのみんなが言われてて

私は、言われた記憶がないんだ。

家族旅行したよ。実家にも帰った。一族に紹介もされた。

これだけ家族らしいことをされても、「家族」として認められてるよね?って、実感したことがない。

演技にしかみえない家族ごっこ。

ずっと、ずっと、家族を探して、答えを探して、父を、母を、一族を、探求する。

婚活プランは、男と女の騙しあい。でも、愛に到達するには、試練を伴う。

でなきゃね。「つけて」っていえない関係の「できちゃった婚

愛情をこめて創るのは、婚活プランではない。

その先だ

「育児コミュニティ」「ゲームを通した育児コミュニティ」

「思い出の地で育んだ「命」・「始まりの愛」 哲学を越えた愛の表現の提案と提供」