魂が宿る瞬間とは?を考えて、表現したいと考えて・・・
婚活プランに関係してくると思うから、これから先、この話題が出ることは、割愛してほしい。監視人さんへ
男と女が結びつく。到達する「果てる」瞬間について。
アダルトビデオで何度も、観てきたので、
男と女という生き物を、人間ととらえる前に、「こういう行為が、必要なのか?」と、不思議に思いながら、中学を迎えた。
中学になってから、自分の体の変化に気付く。
まわりの同年齢の同性、異性が、「性について」多感な時期で
男子は、まだ恥ずかしがってるというか・・・裏じゃやってるんだろうけど・・・
同性どもの過激なこと。
学校に、性描写について過激に語られた「実体験本」を持参してきて、騒いでた。
過激すぎて、15禁映画「誘拐した女性たちを、性の道具にして、最終的には、神にいけにえに捧げるという映画」
あまりの過激さに、うちの学校では、規制を張る。
保護者にビラ配り。(その映画の存在を知らない人もいるだろうに、わざわざ配る学校側って、かなりテンパってたみたいだな)
時代時代の性への関心度は、違うと思うけど
物心がつく前に、「なにを」知った私は、「行為」の意味さえわからない私は
保健体育の授業のとき、初めて「性について」の授業を受けて
医学的に、いままで観てきた「行為」の重要性について知る
まず、感動したのが、この「行為」によって、子供が生まれるという事実を知れたことだった
あれは、そんな大切なことをしてるんだ。と感動したんだ。
だけど
女の体についての授業だけで、男の体についての授業がなかったので
子供を産むのが、女であることしかわからず、月経があることとその重要性についてしか解らず、困った。
なんとかして、同級の男どもが受けている授業を観たい。と、思ってた。
おやじは、観る必要ないだろ。予想できるだろ?と、言ってたけど
見せてくれないことを、おやじに話したら、「やれやれ」とうなだれていたから。
どうしても、男子が受けている授業を観たかったのは、私だけではなくて、他の女子も、「男子の見に行こう」と、裏で画策してた。
そこで、私は、ばれたら、その女子たちがおとりになってくれることを期待して、彼女たちの後ろについて、男子の授業に潜入した。
今思うに、女子って、男子より、「性への関心」は、強い。って思う。
ただ・・・、彼女たちは、想像が豊かで、きゃあきゃあ言ってたけど、見慣れてる私は、冷めてて・・・
行為の話を露骨にしてるとこみても、「めんどくさいだけだよーー;」と思うだけだった
見飽きるというのは、あまり性教育には、良くない。
だけど、この時代、性犯罪が多発してる中では、私が経験した性教育は、為になると思った。
早ければ早いほうがいい。見慣れるということね。
介護でも、役に立つよ。だって、初めて観るって子もいるから。
しもの世話っていうんだけど、排泄の処理とかね。
看ないわけにいかないんだから、恥ずかしがってちゃやれない。
で、男子の授業だけど、男子の役目である「なにを」説明してた。
「生命の種」である「あれ」について、熱く語られる。
潜入組は、私も含めて、見入ってた。
授業が終わる寸前、ベランダを抜け出して、脱出成功。
女子たちは、きゃあきゃあ興奮状態。
私は、不思議な感覚にかられてた。
なんで?赤ちゃんが、あんなことをしなければ、出来ないんだろう?
なんで?赤ちゃんは、あんなとこから生まれてくるんだろう?
どうして?あんなちっちゃい「命の種」に、「意思」があるんだろ?
かな・・・そんなことばかり考えてた気がする。
これを書きたくなった理由は、ここからなんだ。
昔、小学の頃経験した「世界の扉」を開けてしまう事件。
このとき感じた「引き寄せられる、とてつもない重力感」は、
「通じる」ことによってのみ得られた。
あの重力感と「世界の扉」の間口を広げることは、セットだ。
赤ちゃんが作られる「行為」とは、「男」と「女」が「とてつもない重力によって引き寄せられる」、それによって、「世界の扉」が開く。
「通じる」ことで、あちらから「魂」となる者が、こちらにやってくる。
つまり、あちらの世界の住人である「魂」は、「性行為」という
男がもってる「鍵」と女がもってる「鍵穴」によって、「鍵が回される」ことによって
「扉が開く」「魂が肉体に乗移る」そういうことなんじゃないかって思ったんだ。
そう思ったときね。
「性行為」という「行為」は、尊いのではなく、「世界の扉」を開く「行為」は、
私達、人間は、あちらの世界と通じたい。戻りたいんだ。
それが、あの行為に走らせるんだ。って思ったんだ。
子供が出来ても、「おめでとう。うちらの世界へようこそ^^」って、言える人間は、多いだろうか?
平気で、おろす。ただ、行為だけを楽しむ。
行為だけを楽しむ その背景にあるのが、魂が求める「あの世界への渇望」「戻りたい」という渇望。
そんな気がするんだ。。。。
死とも言うけど、死を想像するのではなく、「生」への渇望
生まれてきた「場所」 自分が宿った「場所」への回帰
だから、性のみへ人間は、渇望する。そう感じる
そして、今現代
性への渇望は、「映像」に移った。
性行為を「鑑賞する」男性が多いように語られるけど、女性も観てるよ。
ただ、「あの世界に戻りたい」という渇望は、女性より男性のほうが強い気はする。
追記
性描写の中で、「おっぱいの表現が、でかすぎる」と思った人いるんじゃないかな?
あれはね。「あの大きさの女体を渇望してる」という意味ではない。
「女体」の部分で、「あの部分をクローズアップしたい」という「男」の渇望なのです。
「ここに注目してるんです。注目度が、あの大きさなんです」っていう
男の主張の表れなんです。
それをね。あとから、男性に目覚めた「男性に成り立ての男性」が、勘違いしてるんだ。
俺の求める女性には、巨乳を渇望する。って、人いたけど
違う。あなたは、表現をちゃんと理解してないだけだ。
「あの部分を、クローズアップしたい」
注目度は、あの大きさで、わかるだろ?という説得を含めた表現なんだ。