やっとわかった。ごまかしてる気持ち。

介護を通してきて、母を看て来て

母という存在を受け入れることが、辛くなってきてたことに気がついた。

介護が大変だとか、そういうのではなく

私を生んでくれた人。色々あったけど、私が存在するのは、あなたがあったからだ。

「おまえみたいな子、産みたくなかった」

この言葉から、ずっと、彼女を憎んできた。

母は、再婚だった。前の旦那さんと別れて、すぐ父と出会い結婚。

すぐ妊娠。

私が産まれた。

母から聞いたこと。というか、母から責められたこと。

「なんで、おまえを産んでしまったんだろう」

そんなこと言われたってしょうがないだろう。産んだのは、あんたなんだから。

「俺に似てない。日数が足りない。って何度責められたか、わかる?」

知るか。

血が繋がってるか、どうか?そんなこと、そんなに重要なのかよ?

男だったら、再婚相手に、日数が合わないことだってあるだろう。

全部ひっくるめて、幸せにしたい。って思ったから、×付きの女でも、受け入れたんじゃねぇーのかよ。

父親という存在に、実感が湧かない。

結婚というものに、なんの意味があるのか?わからない。

小学の頃は、周りの同級が、食卓を家族で囲んで食べてる様子を話してるのを聞いて

無償に、むかついた。

家族って、なんだろう?

いつも、探し求めていた気がする。

結婚には、なんの興味を示さなかった。

二十歳になった頃、

突然、父から、「会社の同僚の男から、おまえを結婚を前提に付き合わせてほしい。って言ってきてるんだけど、どうする?返事しないといけない。」

求婚?今時、父親を通すか!?

いきなり、結婚のビジョンが流れてきた。

面識もない人。写真だけみせてもらったけど、結構容姿はいい人だった。

わたしのどこがいんだ?眼が腐れてるんじゃないのか?と、父に話したら

おとなしそうなところに惚れた。そうだ。

ケッ!やっぱり、眼が腐れてる。

即断った。でも、しばらくの間、ストーカーされた。(何度もお願コール。家まで、友達の同僚も連れて、会わせてくれと引っ切り無しの状態)

この頃は、まだ病気のことが判明してなかったから、酷い目には合わなかったけど、結婚について、考え始めたのは、次のことがきっかけかな。

同列の会社のお偉いさんから、会社の情報を流してくれ。って感じで、近づかれたことがある。

すぐ手を付けることで有名な既婚者。

電話番号を教えたつもりはないのに、なぜか、会社の社員情報入手して、そこから、私の家の番号を探り出した・・・ アブネ━━━━Σ(゚д゚;)━━━━!!男。

でも、なんか、このお偉いさんの顔に、悲壮が浮かんでて、ほっとけなくて

話だけ聞いてやるつもりで、毎回かかってくる電話の相手してやった。

奥さんと子供から、「ゴミ扱い」されてる。

家庭は、冷え切ってる。

男にだって、愚痴こぼしたい時はあるんだな。だから、温もり捜し求めて彷徨ってたってわけか。

メッセージを送ることにした。

「何か、家族で「目的」を持ったらいんじゃないですか?」って。

「何がいいかな?」って、答えてきたので、たとえば、「植樹してみたりとか」

自然がいっぱいある中で、家族で何かに取り組んでみたら、何か変わるんじゃないかな?ってアドバイス。

そしたら、しばらくたって後、笑顔で、「実行してみた。久しぶりに家内の笑顔見れたよ^^息子も、「パパ」って呼んでくれた。ひさしぶりだったなぁ」

半泣き状態。勘弁してくれよーー;

このとき、家族を持つっていいもんだな。って思った。

危機的状態にあっても、根底は、「家族を大切にしたい思い。家庭に温もりがほしい」って「心」あるんだろな。って。

そこまでして「大切にしたいもの」が、「家族」なんだなって思った。

でも、まだ「結婚」には興味はなく、遊びまわってた。30代半ばまで、夜遊び。

途中、スピード狂の彼や年下の彼と付き合ったけど

体の異常は、その頃には、「おかしい。何かが」ってわかるぐらいまでになってて、知られたくない。そう思ってた。

隠した付き合いは、長続きしない。

そして、最後に、婚約者。

この頃には、まともな結婚生活が送れるんだろうか?と不安でいっぱいだった。

見た目には、わからないぐらいの症状。ある程度は、理解してくれてると思ってたけど、彼を支えられる自信はなく、

書きたくないから、やめよう。

思い知らされた。相性の大事さ。どれか一つでも欠けてたらうまくいかない。

結婚ってやつは、それぐらい微妙なんだな。って、思い知らされた。

母から、時折、「孫みせて。あんたの」と聞かれるんだけど、言葉に詰まる。

産めないんだよ。ごめんね。

その前に、結婚も出来ない。ごめんね。

私の病気の症状が、克明にわかるサイト見つけた。

http://www.lumbar.jp/kyousakusyou.htm

このサイトの一番下のほうに、実際に私と同じ病名を申告された人たちが、苦しんでいた頃のこと、ないし、苦しんでいる現状を、事細かく書かれています。

特に、先天性と診断された30代男性会社員さんの症状と、私の症状は、非常に似ている。会社内での立場や「嘘つき呼ばわり」まで、酷似すぎるね。

諦めながら生きるって、結構辛いこと。

誰かに理解してもらおうなんて思うもんじゃない。

自分の痛みは、自分だけにしかわからない。

それを、覚悟で、障害ってレッテル貼られても、歯を食いしばって生きていってるんです。

彼らの笑顔は、それを超えてきてるんだよ。

そう言ったのは、介護タクシーの運転手さん。

でもね。

これだけは、さすがに、辛いもんです。

子供を抱くことが出来ない。

母親を看て来て、

こんな母親にだけはなりたくない。こんな母親になるぐらいなら、結婚なんかしない。って思ってた頃あったけど

愛する人が出来て、その人の子供を産みたい。

愛した人の子供を抱きたい。って、それが出来ないって、辛いんだな。

愛を囁きあう日が近づくとね。こうきついもんです。ね。