自分探求 書いてて 何をさまよってるのか わかってきた

毎回 毎回 勇気を振り絞って書く。

怖い 怖い

それが、本心。

誰にも視られず、そっと書き記す。それでは、捻じ曲げられる。

私が、人生の中で一番経験して 一番 絶望の底に落とし込められる瞬間。

真実が、捻じ曲げられ、四面楚歌。全てが敵になる瞬間。

これから逃げられないんだ。って思い知る。いつも。いつも。

「あなたが選んだ生き方です。これが、あなたの望んだ選択です。」

おみぃさんは、私に、常に寄り添ってくれた。常に

「もう充分生きたよ。もう休んでもいいでしょ?」

と弱音を吐くと

「あなたが生まれた理由は、この修行を自ら望んだからです。」

「終わりはないの?」と聞いて

笑う。自ら望んだことでしょ^^ と

生まれる前の自分の意思なんて、忘れたよ。。。

誰も信じないかもしれないけど、

この世に生まれてくるって、「生まれる前の魂の意思」です。

目的がある魂だったり、修行を自ら志願してだったり、意思を持って生まれてきてるんだって。

私は、どんな意思を持って生まれてきたんだろう?

経験することは、「嘘。騙し。裏切り。嫉妬。洗脳。」人を観察してばっかりだ。唯一好きなのは、人の「笑顔」

大地、水、風、宇宙空間。その中の「人の役割」を考えて生きてる。

このブログを主に書いてる理由というか意思。

まず、私が生まれついて始めた探求は、自然の理と人の関わり そして、自然に嘘をつく人の心理を探っていた。

それを私の目で感じて思ったことを「私の中の事実」として書いてる。

「私の中の事実」「私の中の真実」と書くのは

真実は、皆同じじゃない。事実は、当事者同士がすり合せて「一つの真実」になる。

みんな「どう受けとけたか?」で、「事実」も「真実」も、「見え方」が違ってくる。

だから、他人は、「その人が受けた印象と感覚、経験で、「これは、こういう物だ」って受け入れてる

どんな事象、トラブルにも、それぞれに、言い分があり、それぞれが受けた感情があり、事実は、それぞれにある。それが噛み合うことはない。

これが、本当だよ。噛み合うことはないよ。すり合せてるのだから・・・

自分の中の真実 事実は、他人との対峙のなかで、どこまで譲歩できるか?

100%の真実があきらかにされたことはない。

「これぐらいで許してあげたら?」 いつも、何も知らない第三者の行動に邪魔される。

その第三者の背後に、当事者が絡んでいるなんてことは、常。

誰かを使って、説得にかかる。こんなことは、常だった。

自らの手を汚さない。

友人だった男が、こう言ったことがある。

世の中に グレーゾーンのないことなんてない。視えてるんじゃなくて、

読んでるだけだろ?(何が見えてるんだ。嘘ばっか言いやがって。誰が信じるか

私の書き方は、第三者を創り上げて、いかにも「誰か」に言わされて書いているかのように取られる書き方だ。と、彼は、言いたかった。

彼の言葉が入ってきて、ショックではなかった。

もう、何度も 何度も 同じ経験をしてきたから。彼だけじゃない。

「嘘だろ・・」「汚い手使いやがって」そんな言葉は、何度も 何度も

繰り返された。

正直わからない。聞こえてるというか、聞こえてくる。

書いてたら、勝手に思ってもいないような文章が書かれていく。

会話をしてる。目線、口元の動き、息遣い、私は、観察してる。

ある程度は、それだけでも、心理を読める。

だけど、「流れてくる」

なだれ込んでくる。これは、私の中の事実。

彼から、「嘘つき」とレッテルを貼られても、それで友人が去っていったとしても

私は、わたしの中の真実を

正直に語る。誰にも捻じ曲げられたくない。

私の真実は、誰の真実でもないから。

私の事実を語れるのは、私だけだから。

やっと、戻ってきた^^

どんなに苦しくても 進みましょう^^