忘れてたこと。追記

今日の勉強

多数意見 少数意見 の「意見」とする意味。意図。を問われたとき

何を言ってるのか、わかんなかった。

だけど、ビジョンが視えて来た。

国会中継みたいな映像が視えてきて

「選挙で選ばれる必要性があるのは、なんのためか?」と黒巳ちゃんに問われた。

「こいつらの討論を見ていて、感じないか?」と問われる。

「主権は、民にあるよね」

そうだな。

「ここに居る人たちは、代表者だよね」

「代表者に、優先順位は必要なの?」

そうだ。

え・・・って思った。自分で言ってて

選挙で戦うのは、発言力のある順位。権力をより使いやすく優位に運べる位置。

「だけど、それってさ。主権は、民にあるんだから、最終的には、民のハンコがなきゃ、それを無視してる時点で、「代表者」という「権利」を利用した「権力の乱用」じゃないの?」

だから、民主主義は、油断していればこうなる。

他人任せにしていた。誰かの責任にすれば済む。こういうのを、操られるという。

多数意見は、多数寄せられれば、「民の大多数が、「多数の同意を得た意見」が正しい。」と思う。か、思わされる。

その多数の同意を得た経緯は、無視されがち。きっかけは、偶然では起こらない。

少数意見は、篩いにかけてみればわかる。

多数の意見に流されず、最後まで貫かれた意見には、真の問題が視えて来る。

私がわかるのは、代表者同士が言い争う様を視てて

権威、権力、順位にこだわっている念の塊のように視える。

黒巳ちゃんは、こう言ってた

発言力や権威に、優先順位を付けているだけの価値しか見出せていない「選挙制度」に意味はない。

言葉が出てこないのだけど

イメージで視えてるのは

ネットワークが構築された現在、「正しい一つの選択」を出そうとするよりも

「大多数の意見の中に、「一本の繋がり」が視えてくる。その「一本」が視えて来るまで、失敗し続けるしかない。」

補足したいのだけど、これ以上の伝え方が出来ません。

私の文才の無さを許してください。

また、怖いこと書いてるかもしれない。書いてる私が、怖いぐらいだから。