学校を利用するのは、子供だけ? 民主主義は、子供のうちから体験・体感させるべきだ
失礼します。
教室に入る。私の知ってる小学校と言えば、木造校舎。木の机。木の椅子。
鉄筋校舎に比べると、屋上はなく、階数も2階まで。見える風景は、鉄筋に比べたら、低い位置。
だから、窓から見える風景が、ほぼ同位置の高さ。
水墨画の構図のようで、好きだった。
この歳になると、今時の10代の国民の学力・教養についていけない不安を感じる。
子供と言わなかった理由は、後々話します。
学問が、年の差関係なく、小さな10代の子達から60代以上の高齢者まで
幅広く学べる学び舎。
学ぶことが、義務ではなく、喜びだった人たちがいる。
私は、少子化で、学校が廃校になる現状をみてね。思うの
世の中に出てから役に立つ知識は、ほんの一部しかなかった。
学校で学んだことなんて、ほんの一部しか必要じゃない。。。
じゃあ、なんで、学校行ったんだろう?
そう思う反面
もっと、数学ちゃんと学んでおけばよかったーー;
英語、もっとまじめに受けとけばよかったーー;
理科の実験;;もっかいやってみたい;; ボン!とか!バリ!とか
学ぶって、小学校 中学校 高校 「流れすぎていった・・・」右から左に・・
今思うに、左に流れ過ぎていった「過去」を追いかけたくなる時があるのです。
廃校になるぐらいなら、市民学舎として再生させたい。って思うんだ。
中学校 高校 までは、さすがに・・小学校を行きなおすっていうのは、
うーーん。考えるけど
大学 社会人(20代 30代 40代 50代 60代 70代 80代 90代 100代^^v)
この人たちには、小学校を「行きなおすチャンス」があるんだ。って思うの。
一度習ったことだし、子供が行くべき場所ってイメージが強いし
常識から考えたら、大人にもなって・・・小学校から学びなおしかよ・・って
プライドが許さないかもしれないけど
私は、小学校 中学校 は、10代のためだけの学校ではないと思うんだ。
一番、学びたかった学問の「基本」が、この学校で教えられる。
「原点」に戻れる貴重な「場所」が、小学校 中学校。
ここに、大人が学びなおしに来ることが、何がおかしいの?って思うの。
私は、小学校 中学校 は、「原点」「出発点」の学校として
市民に開放された学び舎にするべきだって思うの。
そして、「原点」「出発点」の学校だからこそ、そこに、「道徳」を設けるべきだし
もう一つ一番大切なこと
「民主主義とは?」を教えなきゃいけない場所だって思う。
この国は、「間接民主制」だよね。「国民が選んだ国民の代表者が、国民に代わって政治を行う」それが、この国の民主主義だけど
民主主義の基本は、主権は、民にある。ってこと。
わたしが理解する民主主義を言うから、間違ってたらごめん。
私は、民主主義を一番体現している形は、「株式会社」だと思ってる。
前にも、表現したと思うけど、
この国は、株式会社 日本国
国民は、一人一人 この国(会社)の運営のために出資した 株主さんたち。
出資とは、国に納める税金のこと。
「もうすこし税金減らしてもらえないかなああ」って声が聞こえるけど
民主主義の国なら
「俺たちの金で、力で、団結力で、この国を成長させてやる。」って声があがると思うの。
民主主義の国なら、出資した税金は、生きた金として使われるように、株主である国民が、厳密に、運営者を監視し、指導しなければいけないから。
この「心意気」は、幼い頃から教えておかないといけない。
民主主義は、培われるものだと思う。
幼い頃から、民主主義で、運営することの難しさ。困難さ。素晴らしさ。を
苦労してもらわないといけない。子供たちと言われている10代の国民にね。
学校という場で、
いじめ を問うなら、この民主主義を教えることを 根底に 10代の国民たちの 苦難と困難を乗り越える試練として、解決させるべきだと思う。
私は、選挙制を教える前に、「代表を選ぶ権利を得る喜び」を教えるよりも
国民の手で、国営を担うこと、民主主義を担うことの危うさと脆さを体感してほしいの。
それを教えないで、世の中に送り出したとして、彼らが、
「国民の手で、成長させる「国」という「志」に繋がるだろうか?って思う。
独裁政治であっても、うまくいっている国はある。
独裁者が、単に、国民にとって「嫌なことをさせない」いい人だったってこと。
「政治は、独裁者に任せて、俺たちは、好き勝手やれる。だって、独裁者は、なんの文句も言わない。邪魔もしない。いい人だから」
こんな国だったら、日本も、何も考えないでもいいけど
自由とは、なんぞや? と、考える間もなく、「これが自由だ」って言われて
「民主主義は、これだ」といわれて、いままでやってきたけど
家計が逼迫してきた。危機だ。って状況で
「上が、なんとかするだろう。」って、独裁政治国家じゃないんだから・・・
いいかげん、「自由を維持するにはどうすんだ?」って、自覚しないと、本当に、まずいよ。
だから、私は、小学校 中学校 という学び舎は、10代にも、20代から100代にも解放された「市民の学び舎」としての意味を持たせるべきだと思ってるし
この「民主主義」を学ぶための「基本」を教える場であろうと思うし
10代の国民から、政治に参加させるべきだと思ってる。
そのために、大人の方たちと学べる「共同学舎」にするべきだって思う。
学校という「箱庭」に入ってしまうと、「情報」が、偏ってしまう。
現場の人たちが「混じる」から、体験できることがいっぱいあるし
現場の人たちにとっても、10代の国民から、学ぶことがあるんじゃないかな?
10代にしかできない「思い切り」「思いつき」から、学べることがある。
どちらにとっても、「振り返れる」「学べる」「気付く」んだよ。