本という形になった意味について考えてみる

これは、私が思う

「本」というものが、その形になるまでの経緯。逆読みです。

まず、脳内に、「ワンフレーズ」流れてきたとします。

思わず、「書き留めよう@@〆スラスラスラァ」と書いた。

思わず書いたものだけど、これをどうしよう・・・

そうだ!どっかにはさんでおこう。

二三日は、ちらちらっと、確認するけど、そのうち、忘れる。

1年経った。

ある時、部屋を掃除していた。

「あれ?」なんかメモみたいなものを発見。そこに、「ワンフレーズ」。

「なんだこれ?@@」と思うのだけど、

「あ!あああああーーー。思い出した!」

懐かしいなあ。すっかり忘れてたよぉ 

そういえば、こんなメモしたっけぇ・・・

「どうして、こんなワンフレーズ思いついたんだっけ?」と、思い返してみる。

ああ・・・あのとき、出会ったんだっけ^^彼女と・・・

思い出しながら、今度は、ワンフレーズ書かれたメモを、大切な思い出として

絶対失くさない場所に、大切に仕舞う。。。

そして、30年経った。

彼女が死んだ。

彼女の遺品を整理しながら、彼女の居ない部屋で、ぼぉーとしてた。

大切に仕舞っておいた「ワンフレーズ」書かれたメモを取り出す。

彼女と出会ったときの喜び。彼女と生きた歳月。

「ワンフレーズ」書かれたメモを見つめながら

「君を愛してる。出会えてよかったよ」

そう言って、いつまでも、「ワンフレーズ」書かれたメモを読み返す。

1年後、彼は、棺の中。

「おじいちゃん、このメモ大切にしてたよね。一緒に入れてあげるね」

「本」ってね。この「ワンフレーズ」書かれたメモと同じ運命を辿るんだよ。

最初のその「本」を手にした喜び。

これが、「出会い」

数年経って、どっからか出てきた「本」をみて、

「あのときの思い」を「思い出す」 

これが、「振り返る」

何十年後、「本」を手にしながら、読み返す。

思いが蘇る。けど、ただ、懐かしいだけじゃなく、

あのとき、こう感じてたなぁ。

こうして読むと、あのとき解らなかった「この言葉」の意味が、今はわかる。

これが、「気付く(学ぶ)」

これから先、本は、「形」を「電子」に変えて残るのだろうけど、

ホコリまみれの「本」みたいに、

あるとき、「あれ?なんだこの本?」って、「発見」して、「二度目の出会い」を衝撃的に迎える喜びがなくなるんだなあって思うと、

寂しいよねぇ・・

これを書いたのはね。

私のブログもそうなの。

毎日読まなくていい。って言ったのは、毎日「出会う」喜びも、楽しいんだけど、

1年後訪れてみたら、「あれ?まだ、こんなブログ残ってたんだ。よく続くよなぁ」

「ああ・・ここのびえいってやつ、頭イカレテルよなあ。今でもイカレテルのかよーー;久しぶりに読んでみっか」

「うーん。また、年数経ってから読むと、印象変わるもんだよな・・」

って、言葉がもらえたら、私は、「勝った!」って思うんだ。

「二度目の出会い」があった。その印象を与えられたら、私の勝ち。

うんで、10年後

まだ、この269gが、残っていたら、私のブログが残っていたら

「まだ!続いてんのかw10年だぞ!おかしいだろw」

「びえい・・・成長してねぇなあ・・・相変わらず^^;」

「また、このバカが書いたやつ読んでやるか。」

「あれ?なんか、はまったかーー;びえいの妄想の世界が見える・・・やばい。染まった;;死ぬ!」

と、慌てさせたら、私の勝ち。

うふふ^^v