自由に、誰もが表現できる時代 同じ時代があった 明治維新を生きた人たちなんじゃないかな

自由に 誰からも罰せられることなく 制限されることなく 大きく変動する祖国の中で

それまで、自由に表現したくても 

身分から(肩書き 武士 農民 町民) 

環境から(経済の偏り 一部の人たちにだけ恩恵が得られる) 

教育不足から(新しい生き方 考え方が受け入れられない)

いきなり、これらの「枷」をはずされて

「あなたたちは、もう自由です^^誰もが、好きなように生きて下さい。」

と言われた。世の中に、放り出された。

え・え?!自由にって・・・自由ってなんだ?

全ての人が、困っていたわけじゃない。この国のやり方をね。

突然、それまで「うまくいっていた生計」が、根底からひっくり返される。

そうなったとき、人は、こう思うんだ。

余計なこと言いやがって。余計なことしやがって。

今まで、充分幸せだったのに。

言動に気をつけていれば、何事もなく、無事に過ごせた・・・

態度に気をつけていれば、難なく出世コースに乗っていた・・・

目立つ行動をしなければ、自分を出さなければ、誰からも嫌われることはない・・・

これが、維新前の 黒船という「きっかけ」が訪れる前のこの国の姿だったんじゃないかな?

すごく似ていると、思いませんか?

民主主義とは、名ばかりで、国民の声が反映された試しがない。

そして、訴えはするけど、「今度は、もっと私達の期待に答えてくれそうな人を選ぼう」

いつもそう。「他力本願」

「このやり方では、私達の言葉は、影響力を持たない。もっと、改善するべきなんじゃないだろうか?」

「結局、「選挙」に戻る。」

「先に進めるためには、私達は、ここまで培った経験と知恵と、時代のニーズに合わせて、新しいしくみを作れるんじゃないだろうか?」

と、考える人はいても、一歩踏み出しきれない。

「根底から、ひっくり返るかもしれない」

「いまのこの状況を変えたくない」

「少し我慢すれば、やり過ごせるんだ。ほっといてくれ」

「余計なことはするもんじゃない。」

ほとんどの人がとは、言わない。全国民に聞いたわけじゃないから。

だけど、

いままでの価値観、常識が、根底から ひっくりかえされたら、

誰だって怖い。最初の一歩を踏み出すことは

だから、誰かが居れば・・・きっかけを起こしてくれさえすれば・・なんて考える

そんな都合のいい人はいません。

この時代に、龍馬は、いない。

人は、惰性になりやすい。

龍馬のような人さえいれば、この国は変えられるのに・・・

だから、「他力本願」なんだよ。

自由っていうのは、人から与えられるものじゃなくて、

自ら、自らに責任を持って、生きることが、自由だよ。

根底から、全ての常識がひっくり返される。明日が見えなくなるかもしれない。

それまでうまくいっていた生活が、苦しくなるかもしれない。

それでも、この一歩を踏み出すのか?踏み出さないのか?

迷ってる姿が見えるよ。目を合わせないようにしてる姿もね。

この一歩を、踏み出そう。と覚悟を決め切れてない人たちが、

本当の自由に行き着くんだろうか?

追記

すぐ思いついたまま 一歩を踏み出すことは、知恵があるとは思えない。

こういう行動は、私の特権だから^^

今度は、誰が、船中八策 練るんだろうね。