私は、喧嘩に強い人は好き でも、手を上げる人は嫌い 意味わかるかな?
私は、悪党が好き
魅力的だから とかじゃない。
あえて、懐に入れてみる。
懐に、剣を向けられる危険は付いてまわるけど、 内向きに 悪事を働かない。
「いつか、乗っ取ってやるんだから、俺の物を傷つける気はない」
ってのが、懐に入れる訳。それが、 内向きに って意味。
だから、悪事は、 外向きに 「悪知恵」を働かせる。そこを買う。
でも、いざ、剣を向けて襲ってきたなら、
「悪党」だからこそ付いて回る「悪事の痕跡」を「やり玉」に挙げる。
徹底的に、潰す。
「悪党」ってのは、その「悪知恵」を 外向きに 使わせてこそ、「利」になる。
私が、これを話すのは、民主主義ってのは、国民が、懐に剣向けられるの判ってて、あえて、悪党を懐に入れきる戦略家に徹しなければ、脆く崩れるものだと思ってる。
不正は、決して許されることではないよ。
だけどね。不正をやるやつは、「己にとっての利益」を常に追求し、暗躍し、気がついたら、そっくりそのまま、いただきました。という、緻密で、計画的で、抜かりのない、姑息な知恵を持ってる。
対国内では、この知恵を使われたら、非常に痛いけど、
対国外では、この知恵は、戦略として使える。利になる。
国民が、民主主義に徹したいと思うなら、
この国は、あくまで、株式会社 日本国
国民は、株主一同 として、「投資」しただけの働きをしてくれる代表を選ばなければいけない。
そのとき、懐に剣を向けられることを恐れていたら、
対国外に対して、存分に働いてくれる「悪知恵」をドブに捨てるだけ。
「悪党」は、「悪事を働いている」のだから、
国民は、いつでも、引きずり落とせる切り札を持ってるんだということを、しっかり内に秘めて
我々に、利益を還元してくれる「悪党」を「使ってやる。」という選択肢を持つべきだと思う。
「欲」の塊みたいな人間が、編み出す「知恵」は、計り知れない力を発揮させる。
それは、危険だけれど、「投資」するだけの「価値」はあると思う。
責任の擦り付け合いに時間を投資する者ばかりの中で、
即「利」となる動きを示せる「悪党」の「知恵」のほうが、投資する価値はある。