大切な友へ。君の成功を祈っています。
「お金」は、あればあるに越したことありません。
ギリギリの状況に立たされたことがあります。
父の治療費に、全財産を使い果たし、葬式をまともに挙げてあげれませんでした。
私が、五体満足だったなら・・・
私は、病名もわからない。原因もわからない。
少し移動するだけで、息切れ。自転車なら、平気なのに、歩けば、息切れ。
若いくせに、甘えるな。って、どんだけ言われたか、、しれない。
これが、体がきついからしかたないんです。勘弁してください。といっても、
「病気を作るな!」と、どんだけ言われてきたんだろう。
父からも母からも、理解されない。
ただ、耐えるしかなかった。身体の痛みよりも、理解されない苦しみのほうが、痛いです。
介護タクシーの方が言ってた通り、これから先のあなたの未来は、誰からも理解されない。自分の痛みは、苦しみは、自分以外誰も理解してやれない。そういう現実しかない。それを、覚悟して、乗り越えて生きていくしかない。
身体障害者の現実は、目の前でお年寄りが「邪魔だ。どけ。」という場面に何度も遭遇してきたので、わかってる。
私は、私が出来ることを出来るだけしたい。そう思って、頑張ってきたけど、体が思うように動けなくなってきたとき、はじめてね。まわりの人に、「助けてください」と言いました。
「病気作るの?まだ若いくせに。いままで、やってくれたじゃない。やってよ。サボりたいだけでしょ。」
そう言われたよ。
いままで、笑顔で会話していたまわりの人たちが、突然、敵に変わる。
強くならなければ、生き残れません。
五体満足であることは、たしかに、甘えも厳しさも甘んじて受けなければいけないけれど、それが「当たり前」であることが、どんだけ恵まれているか、理解してください。
どん底を味わったことがあるんだよね。君は。だから、お金に固執してるんだと思う。
お金は、あったほうがいいよ。当たり前じゃん。
でもね。人が生きるのに必要なお金は、それほどいらないんだよ。
人それぞれ物差しの長さが違うんで、「それほど」は、個人個人で違うけど、大していらないもんなんです。
私は、値切る。もらう。説き伏せる。やってきたので、最低限どれだけあれば生活できるか、わかってる。
お金が本当に必要になるときっていうのは、「病気」になったときです。
いまは、保険があるから、「入院して稼ぐことができる」とか思う人いるかもだけど、直らない病気には、そんなの意味がありません。
人は、人の中で、社会の中で、自分の立ち位置築いて、そこで踏ん張って、「ありがとう。君がいたから、助かったよ」って、自分の存在意義を確かめたい。
自分には、価値がある。そう感じたい。認められたい。
そこに居てもいいんだ。だから、安心したい。居場所がないと、安心できない。
怖いよね。
どん底味わったやつならわかるはず。回想するから。
もう、あんな生活まっぴらだ。二度とあの生活に戻りたくない。
だから、少しでも不安を除こうと、「大丈夫。乗り越えられる」って、信じて進むんだ。
だから、お金に固執するんだよ。
「お金がある」ってことの「手に出来ているお金」の価値わかってるからさ。
私は、妬ましいです。喜ぶ君の姿に、虚栄心が見えたけど、それでも、何もかも出来る君に嫉妬した。
弱気になった私をみせたことを、恥じた。
どうしても、私に出来ないことが出来て当たり前の君に、嫉妬した。
怖いって言ったのは、引き離されていく現実をみせられたから。
でもね。君は、怒ってるだろうけど、そう思ったことは、思って当たり前だから、私は、謝らない。
虚栄心みえみえで、あんだけ固執してたら、かえって、「大丈夫なのか?」って心配になるぐらい、不安みえみえで、
だから、
心配にさせるな。君は、成功したんだ。絶対、そっから、成り上がれ。
私は、君がどう思おうと、友だから。応援するよ。