私が伝えられる「ゲームの心」 ゲームにできる貢献

かなり体調悪いので、これから書くことは、途中までしか書けません。

続きは、いずれということで。。。

最近、指の痺れが酷い。

狭窄といっても、腰部なはずだったのに、頸部にも狭窄がみられる可能性がある。との医師からの言葉を受けて、こうして書くことも、いつか、書けなくなる日が来るのだろうか?と、自分の運命を呪いたくなった。

私の病気は、はっきりとした原因は、わかっていない。

仕事で、重いものを持ち続けたりしませんでしたか?といわれたけど、そんなときもあったかな・・・ぐらいで、それが、原因とは特定できない。

ただ、生まれた時から、黄疸があり、疲れやすかった。

成長するに連れて、黄疸は消え、普段の生活に支障をきたすような症状はみられなくなった。

でも、瞬発的力は出せても、持続しない。すぐ、激しい動悸と息切れが続く。

これが、小学生からずっと続いていた。

「体が、昔から弱いよね。」と、言われてきたけどね。

だからって、いますぐ死ぬほどのことではない。

呪う暇があったら、動け。動けるうちに、動いておけ。って、考えに切り替えた。

私は、オンラインゲームに、出会えてよかったよ。

そのオンラインゲームを創る喜びから、始めれて、よかった。

彼に出会えて、師匠(トレさん)に出会えて、先輩(wisdom)に、水無月さんに、EZOくんに、うきょうちゃんに、そして、アッシュ、かかすちゃんに、まだみんな言い足りないぐらいだけど、みんなの純粋さが、大好きだったから。

創る喜びは、彼らから教わった。誇れる最高のクリエーターたちです。

そして、プレーする喜びと、ギルドの運営の大変さを学ぶことができたのは、tiroさん、銭形さん、シュバさん、あなたたちでした。

伝説のプレーヤー、ライオンハートギルドのメンバーのみなさんも、私にとって、人間の限界を超えたプレーをみせてくれた貴重な存在でした。

doragonさん、あなたには、いつも魅了されてました。

みなさんとの出会いは、わたしにとって、わたくしにとって、オンラインゲームの可能性を導き出す道しるべを示してくれました。

わたしは、彼のために、常に、テストプレーヤーであろうと決めていました。

わたくしは、「人の欲」の「コントロール」を常に、課題にあげていた。

尊敬する彼らであっても、わたくしにとっては、実験素材であり、検証素材でした。

それは、許してください。

わたしにとって、ゲームは、可能性です。無限の

私の人生の中で、常に、脳裏にあったものが、「人の欲」です。

人は、怒れば、それを隠そうと、抑え込もうとします。

人は、喜べば、はしゃごうとします。それも、抑え込もうとします。

なぜなんだろう?って、不思議でならなかった。

それが、リアル。

ところが、ゲームを前にするとね。

怒れば、素直に怒るんです。喜べば、素直に喜ぶ。

なんでだろう・・・ 不思議で、不思議で、しかたがなかった。

人は、どんなアクションを起こせば、どう反応するだろう?

わたくしは、それを、わたしに「試せ」と言います。

好奇心です。

わたしは、いろんな「試し」をしてきました。

なぜする必要があったのか?わかったような気がする。

「人の欲」の究極の選択は、なんだろう?と考えたところ、答えは、一つしか出てこなかった。

戦争 か 平和 

平和を望むのは、本能の中で、戦いを望んでいることを隠すため。

飽くなき欲望の塊こそが、戦争の本質。だからこそ、あの終わらない地獄を再び繰り返さぬよう、心に決めて、「平和」を誓うんだって、思う。

だからこそ、人の欲の究極の選択は、戦争です。

わたくしは、人の欲をコントロールできるものとして、ゲームの可能性に着眼しました。

人は、怒れば、抑え込もうとする。抑え込まれた怒りは、イライラとなって爆発するときを待つ。

だけど、そのイライラを、転嫁できるものがあれば、人の欲は暴走することなく、安定を得られるのではないだろうか?

わたしとわたくしは、オンラインゲームの可能性の中で、PVとGVGに目を付けました。

これは、途方もない願いかもしれない。

わたしも、わたくしも、こう信じているんです。

「ゲームには、戦争を回避するための麻薬としての可能性がある」

のめり込む恐ろしさを秘めたゲーム。引き戻せなくなる。それほどの魅力がある。

リアルと「あちらの世界」と分けて考えやすい。

素直な感情の表れ。

全ての国々に当てはまることじゃないけど、「怒り」や「イライラ」は、ゲームを通して、解消できるはずだ。

わたしはね。

実際の戦争を、ゲームで再現する形の「ゲーム」に、なんの価値も抱いていません。

実際の戦争が起こることそのものを、転嫁できる。感情を、解消できる。

その可能性を秘めている「ゲーム」に、価値を見出したい。

こんなことを考えるんです。

実際に戦車や武器が使われる戦争を始めるよりは、まず、「これで勝負しないか?」と、ゲームを取り出して、一国の運命を決める。そんな勝負が、「ゲーム上」で出来ること。

一国の運命を、ゲームでの勝負で決めるなんて、人の命を安っぽく考えてるんじゃないか?って思われますか?

わたしは、わたくしは、血が流されない「ゲーム上」だからこそ、「ゲーム」での勝負に意義があると思ってる。

それぐらい、ゲームには、価値があるんです。