鏡見ろよ。死人生み出すゲームになんの意味があるんだ?
今日、NHK番組で、世界のゲーム市場の様子が紹介された。
日本を代表して、世界で活躍している有名なクリエーターたち。
第一印象 目の下の 隈・・・くっきり映ってます。
その顔で、
笑顔で、
「ゲーム創り楽しいです^^」ってインタビュー答えていたけど、精気が奪われている。
たぶん、彼らなら、こんなの平気^^vって返すんだろうけど。
「俺たちは、ゲーム創りのためなら、パソコン前に、息絶えても平気だ。それこそ、本望だ><b」ってね。
私が求めるゲームの本質は、そこにはないよ。
だって、生きていてほしいから。
精気を吸い取るような我を忘れて没頭してしまうようなゲームなんて、そりゃ、魅力的だよ。
現実逃避できるゲームこそが、理想だ。なんて、ぬかしてやがる外国のクリエーターのコメントあったけど、糞食らえだ。
人が、現実逃避できる場所の提供を用意するようになったのは、いつからだろう・・・
逃げ場なんて、どこにもないのに・・・
私は、精気を吸い取るほど没頭できるゲームよりも、やっぱり「振り返る」「学ぶ」「気付く」要素を含んでいるのが、ゲームの本来あるべき姿だと思っているから。
人が、現実から逃避するのではなく、生気を培う場を提供できる形が、一歩先行くゲームのこれからのあるべき道だと思ってる。
いつかは、破綻する。あれは・・・
破綻がみえているからこそ、もっと先の未来の形を作り上げなきゃいけない。
いまのトレンドに乗れなきゃ生き残れない。
だから、破綻が目に見えてるのに、時間なんてないんだよ。未来を作り上げる準備をしている場合じゃない。なんてぬかしてやがるやつがいたら、ぶっとばしてやりたい。
生きてほしい。没頭するのは、嫌いじゃないけど、生きて、生気に満ちた 「隈」ない笑顔で、
俺たち、ゲーム創れて、本望だよ^^b
って、カメラに映ってほしいよ。