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ただいま。私の場所。そして、なぜだか、閲覧して下さっている方たちへ^^;

母の治療が終わりました。

放射線治療。ほぼ末期に近いレベルだったのに、癌細胞のほとんどを殺すことができた。奇跡に近いです;;(先生方ありがとうございました。

自宅に戻っています。

いつもと変わらず、在宅介護^^これが、一番嬉しい♪

「再発したら、もう治療は行えません。それは、覚悟してください」

了解。

母との時間を有効に過ごそう。そう決めています。

ただ、そのために、この入院期間の間、決めていたことを実行しました。

訪問看護さんを変更しました。

これは、専門的な知識を必要とするケアなので、それに精通した病院が経営している介護センターを利用することに変更というのが、表立った理由ですが、今回、母の病気を発見するに至る経緯に、問題が生じました。

「検査してみなければ、わたしたちでもわかりませんよ^^」

「娘さんの気にしすぎです。私たちの経験から言わせてもらえば、単なる出血です。様子をみましょう」

この言葉を忘れていません。

人は、慣れると馴れ合います。馴れ合いは、思い込みに繋がる。思い込みは、発見を遅らせる。

母の病気の発見から病院での検査までに、2週間、間を空けなければいけませんでした。

本治療が行われたのは、それからさらに2週間。いますぐ始めなければいけない治療を行うまでに、一ヶ月を無駄に過ごした。

母のケアプランを決めるとき、ケアマネージャーとは、散々意見を交わしていました。

母の状態を注意深くじっくり観察し、ケアするためには、介護プランを増やすことが、一番必要なことです。という考え。

今回は、増やすことに何の意味があったのか?と思えてならなかった。

増やしても、実際に行う側の人間は、しだいに「慣れ」てきて、結局、発見したのは、私だった。

何度「おかしい。いつもと違う」と訴えても、「娘さんの気にしすぎ」で遮られた。

「ほんとうに気にしすぎなんだろうか?」私も、知識の無さから、判断に困った。

でも、いつもと様子がおかしい。

そして、3度電話。

一度目、ケアマネージャーに、「娘さんの気にしすぎだから、大丈夫だっていっといて」

二度目、いつになったら、来てくれるんですか?と電話したら、「行ってないんですか?」という返答。その後、結局来ない。

三度目、そういえば、出血しているって言っていましたね。とまりませんか?じゃあ、向かわせますね。やっと、来てくれる。

こんな状況です。

これで、ただ回数を増やすことに、なんの意味があるのか?私には、納得がいかない。

私が、ケアマネージャーから言われた言葉。

訪問看護の回数を増やしましょう。それが、お母さんのためだと思います。普通、これぐらいの回数は、かかります。」

月々の支払い。これは、かなり厳しいです。思っている以上にかかります。

「ここまでしか捻出できません。これで、抑えて下さい。」と、私は、いつもそう答える。押しが強いほうなので、引いたことがありません(とても、やっかいな介護者で通っていると思います。

いつも、ケアプランのことで意見が割れます。

母のことを考えるなら増やすことがいいのかもしれない。でも、支払いが・・・

支払いを抑えるどころじゃないだろう?お母さんを大事にしたいなら、もっと捻出しろよ。それが、家族じゃないのか?という心の声に、いつも責められています。

でも、今回は、やっぱり、私と母が経験してきた介護の経験のほうが正しかったと思いました。

人任せではいけない。管理は、常に、自分でを実行してきてよかった。そう思っています。

勘違いしている介護者の方もいるようなので、言います。

ボランティアで介護される方はいません。ビジネスです。

なので、家族側も、ビジネスと割り切って、交渉しましょう。それができなければ、「自分の中の善意」に責め殺されます。

ビジネスと割り切って、渡り合う。これができなければ、在宅介護は、できません。

量を増やしても、質を伴わないケアには、なんの意味もない。ただ、時間が無駄に過ぎるだけ。

ぱっと看て、「ああ、大丈夫。いつもと変わりありませんね。」というだけで、時間は設定されているので30分料金が発生します。それに、500円払います。うちは、週1で入れているので、2000円は超えますが、安いほうです。

でも、人によっては、月4000〜5000円は払っている方がほとんどだと思います。

父のときは、もっと壮絶でした。

ケアマネージャーを三回かえています。母との折り合いが付かずです。母が、当時介護者だったので、私は、母のサポーター。

いつも、ケアプラン内容のことで揉めます。支払いもですが、プラン内容に書かれていない部分で、大きな金額が発生していたからです。これで、

「話が違う。どうして、こんなにかかるの?こんなにかかったら、うちは困る」というのが、母の口癖。

「これは、どうしようもないんですよ。これぐらい、どこでもかかっていることです。」ケアマネージャーの言葉。

そこで、ケアプランを抑え込もうと提案すれば、

「これが最低限必要なことです。これは、減らせません。」という返答に、母は、激怒。そして、ケアマネージャー交代^^;

これの繰り返しでした。

当時は、私には、そこらへんはわかりませんでした。父の医療面の管理を担当していたことと、会社勤めだったので。

いまは、わかる。母の気持ちがね。

ケアマネージャーさんには、悪いけど、介護者が苦労しているのは、介護による就職難だけでなく、介護現場との関り方で常にプレッシャーをかけられているということ。ボランティアではないので、人の欲が絡むのはどうしても避けられない。

足元を見られる。「あれば、もっと使え。なければ、借金してでも捻出しろ。それが家族だろ」というプレッシャーが、常にかけられている。

在宅で介護をするということは、在宅に、ある程度の「医療道具」と「医療消耗品」を常に常備しておく必要があり、その消耗品費を捻出しなければならない、ということです。

おむつ、消毒薬、医療器具を吊り下げるためのフック多数、ポット、吸い口、クッション(ロングサイズの)、そして、薬。

私は、父の介護から経験があるので、どの程度かかるのか、見当がついていました。なので、前準備が早かった。母のときがです。

消耗品費+日ごろの生活費+介護費 これは、どうしてもかかるもので、在宅で介護をする可能性が高い方は、これを念頭に入れておきましょう。

支出の管理は、必ず、自分で管理する。これを、絶対に、他人任せにしてはいけません。

もっとも信頼できるのは、「自分」以外存在しないということ。それが、介護者の現実です。

ようするに、専門的知識のない私たち介護者は、専門分野の方たちとの関わりを余儀なくされる。その環境を長期間受け入れざる終えない。その現場で、わたしたち介護者は、「無知」であってはならないということです。

介護現場、医療現場、この二つには、どうしても関わることとなります。

そこで、まず悩むことになるのが、「人の体のしくみ」「薬の作用」「介護ケア」これが、一番先に不安となって襲ってきます。

次に、わからなければ、人は、普通、情報を集めようとします。

そのとき、一番身近にいる方たちに、質問します。

そこで発生するのが、迷い。これが、二つ目に悩まされることです。

原因は、それぞれの分野の専門知識、その経験の長さ、そこからそれぞれが持つ「プライドと自信」これに、いつも悩まされます。

特に、金銭感覚の違い、そして、それぞれの経験から来る自信

医療現場は、特に、プライドの高い方たちが多いです。

隔離された世界の人たちですから、しかたがありません。

介護現場は、この不況です。一番安定している職業。ごく一般的な考え方を持っている方が多いです。

二つの現場には、金銭感覚のものさしの長さの違いがあります。価値観がまったく違う。

介護現場にいる看護士の方と医療現場にいる看護士の方の間にも、その考え方の隔たりがあります。

もちろん、介護士と看護士の間には、天と地ほどのものさしの違いがあります。

現場(病院内)で、介護士と看護士の陰口を何度聞いたことか知れません。

相容れないのでしょうね。価値感覚が違いすぎますから。

そして、専門的知識を持っている方たちが持つ自信。

「私は、こう教わった。なので、こうします。」

「私とはやり方が違う。なんで、これが正しいなんていったの?」

「あ。私がやりやすいようにしてたのに、誰が、こんなことをしたの?」

「私は、こういうやり方を知りませんので、相談しますね。」

「人それぞれですから。やり方は。無理に勧めていませんよ。」

専門職の方たちからでてきた言葉の数々です。

どちらの方も、自分の経験に絶対の自信があり、決して引かない。

「無理にお勧めしたことはありません^^」と、答えられますが、現場では、いつもこれが発生している。

最初のアクセスは、常に、これ。意見のやり取りはあってもいいですが、方針が決まらない。決まっても、守られない。

そこには、それぞれが経験した「やり方」が、「正しい」という「信念」があるからです。

これには、さすがに、知識がなければ、口出しできません。

なので、介護者は、「無知」であってはいけません。

どこからでもいい。情報を集める努力をすること。

振り回されることは、避けては通れませんからね。だから、勉強しておくんですよ。

介護者は、もっと声をあげて訴えるべきです。病院ではない。介護事業者にではない。国に対してです。

介護制度を改正しようとしてる者のほとんどが、介護者の現実、現場で起こっているやり取り、ストレス、プレッシャー、を知らない者がしめている。それが、トップにいる。

介護者は、自分の中の「善意の言葉」、「ここまでしてあげたい。」「これぐらいするのが当然」「これが親にする子供の孝行」と思ってはいけない。

いつか、その「善意」に、責め殺される。限界は、いつか来る。

まわりにいるのは、ボランティアではない。ビジネスとしての「介護」であるということを、念頭に入れておく。

介護者は、心を悪魔にして、ビジネスと割り切って、渡り合うこと。そのために、情報を集めることを怠らない。

きつい言い方ですが、

いつか、「どうしようもなく、どうしようもない感情に襲われる時が、何度も襲ってきます」

そのとき、まわりにすがっても、無駄であり、どんなに逃げたくても、踏ん張るしかない時が何度も襲ってきます。

甘えを自分の中から、排除。これは、これから渡り合う相手との「交渉」を繰り返す中で、相手に先手を取らせないための準備です。

「あなたは、病んでいる。介護疲れですよ。休みましょう。その間、親御さんを預かってあげますから。」

この言葉は、慎重に受け止めなければいけません。何度も言われる言葉ですから。

すがるときは、ビジネスと割り切って、相手の落とし所を探る。これは、忘れちゃいけません^^

たとえ、裏切られる可能性が高い相手がパートナーだったとしても、危険性があると判断するまでは、遠目でよく観察し、相手を「よく知る」情報を集めるということを欠かさずに。

敵を知らずして、敵は倒せない。だからこそ、取引相手が、どんな人物か知らずに、取引を進めることは、交渉を有利に運べません。

介護の現場も、これは、鉄則です^^v