婚活プランを考える日々 容易いことじゃない
少子化の背景には貧困 安定しない生活と収入では、子供は育てられない
結婚を諦めている世代から聞こえてきた声
「子供を成人するまで育てるだけの自信と経済力がない」
「もっと安定して収入が得られれば、子育てできるのに・・・」
「会社ないし、自宅の近くに、子供を預けられる場所がほしい」
ゲームで、少子化を応援するのにも限界はある。
結婚に対する「夢」をもっと持ってほしい。
結婚の「現実」を、もっと踏まえてから、決断すべし。
恋愛は大事だけど、「できちゃった」だから、認知しろ、責任とれ、だの言ってたら、本当にそのとき覚悟が決まっていないで、安易に結婚に踏み出したら、あとが大変。
愛とお金は、紙一重です。
これは、すごく考えることなんだけど、最近、新しい形の結婚があってもいいんじゃないか?って思ってる。
私がイメージする結婚とは、性別に関係なく、フィーリングがあった者同士で、お互いが「家族契約」して「家族」になって、それぞれが愛した者との間に出来た「子供」を、互いに協力しあって育てていくという形だ。
たとえば、同性同士。すごく信頼し、いっしょに生活するのにしやすい彼女がいたとする。女同士の結婚。子供は、「精子バンク」から提供してもらって、それぞれ、妊娠出産時期を計画して、お互い子供を儲ける。互いが互いの子供を協力しあって育ていくという形。
反対に、男同士で、同じように、女性との長期間の生活が億劫という男性が、気のあう同性の男性との男同士の気兼ねない生活。そこで、男同士で結婚。子供は、「精子バンク」に「精子」を提供することで、国に貢献。もちろん、互いの子供を授かって、いっしょに育てていきたいと思えば、異性の方に、「卵子」提供者を募集。「代理母」を募集お願いする。
それかね。同性同士のそれぞれの「家族契約」している「家族」同士で、話し合って、お互いの子供を儲けるために、協力する。というのもありかもね。
もちろん、これは、同性同士を限定した形態ではない。
異性同士であっても、同性同士であっても、「家族契約」をすれば、「家族」だから。
異性同士なら、互いが互いに愛し合って子供を儲ければいいのだから。
これを考えた背景。
離婚率が今だ高い今日。子育てを一人悩む女性や男性。隣人に相談するとかないらしい。
こんなこと言っちゃなんだけど、二股三股する恋愛のほうが、意外と多いということ。
なので、
離婚せず、子供を育てるのに、一人で抱え込むことのないように、配慮できる新しい形態が必要だと思えた。
一夫一妻 という形態には、限界がある。
人間に、この限りなくながーーーーーーい人生(およそ、100年)の間を、一生添い遂げる覚悟を決めてくれる人を探すというのは、限界がある。
まず、いつかは、飽きる。どんなに長く居ても、飽きないという人もいるとは思うけど、大半は、飽きる。
「他にいい人いればなぁ。乗り換えるのに・・・」心の声だ。
この心の声を、子供たちに理解してもらたいと思っても、それは、「大人の都合」として片付けられる。
もう、一夫一妻は、通用しないと思う。このことを、子供たちにも理解させるべきだ。
形では、離婚し、再婚。何人目の母親か?父親か?わからないが、これに、離婚という制度がなかったら、こうなる。
一夫多妻 一妻多夫
一人の夫で、第一夫人 第二夫人・・・
一人の妻で、第一夫 第二夫・・・
離婚し、生活面、経済面苦労された方も沢山いると思う。
離婚は、当事者同士のケジメかもしれないけれど、子供にとっては、大人の都合であって、関係はない。
離婚という制度がなければ、経済面では、一生協力しあって子供を育て上げ、愛情をかける相手は、飽きても、たまに会うぐらいの気軽な気持ちで付き合える距離があればいい。
ようは、「結婚」には、愛し合うただ一人の人を求めるのではなく、「家族」となる「信頼できる仲間」を求めるのがよいと思う。
なので、隣人同士の繋がりが消えつつあるといわれているが、この「家族契約」を結ぶ形をとれば、嫌がおうにも、互いの子供の父親ないし、母親が、「家族契約外」から生じるので、繋がりができあがっていくと思える。
私の慕っていた人は、子供があるにも関わらず、果敢に、異性を狩ることに盛んだった。こんなタイプの人が、もっと経済力もあり、外腹でできた子供がいたとしても、全部ひっくるめて、この「少子化」を食い止めるカンフル剤になってくれるのではないか?と思ってる。
たった一人を、一生愛し続ける。ことは、とても、美しいし、望ましい願いなのだろうけど、恋のカンフル剤は、いつかは、消える。愛のカンフル剤は、ない。形ではないからだよ。