生き生きとしているおじさんたち。生気のない女性たち。

キャバクラ導入を考えるようになったきっかけは、母の助言があってのことだけど・・・

これを考えるようになったのは、ある女性たちの存在が大きい。

オンラインゲームで出会い、悩みを打ち明けてくれた彼女たち。

いつも、彼女たちは、男性のことを思い悩み、男性からの仕打ちで悩み、そして、自分を見失っていた。

私は、男性が女性に対しての悩みと女性が男性に対しての悩みは、どちらが相手に対して悩ませていることをしてるとか悪いとか、どちらかに非があるとか、考えない。今の私はだけど・・・

愛したら、時には、相手を憎む場合もある。伝わらなくてね。思いが・・・

わざと、泣いたりして気を引くことだってある。かまってほしくてね。淋しいと甘えたくて・・・

愛しているから、解れよ。なんで、わかろうとしない。そして、殴る。殴る。殴るんだ・・暴力だね。

一番ほしい相手からの愛を得られない。だから、ぽっかり空いた部分を何かで埋める。一夜限りの相手だったりする。

母なら、こう言うだろうなぁ。

「自分を安く売るな。料金とりな。」ってね。

母は、ホステスさんをしていたとき、お客さんから、チップや品物をもらっていたと、いつも自慢していた。

さてと。。。

これが、性犯罪を防ぐ手立てとなるのか?正直わからない。

まず、きっかけは、性に関する問題をどう解消させるべきか?から、考え初めて、そこから、キャバクラの導入という結論に至ったけど、要は、「物」を得て、それを「売り買い」する、という従来の商売方法の他に、「サービス業」を取り入れる。これが必要だと思っているわけ。

「人」から「笑顔」を得るために、「サービス」をする。それによって、「お金」を得る。

私は、この「サービス業」を導入することによって、あの女性たちに、その職業をしてもらいたいと思ってる。

彼女たちとの会話から感じたこと。

「戦闘下手だし・・・足手まといになってるし・・・」何度聞いたかしれない。この言葉。自信を持ってください。

なぜ?元気じゃないんだろう?

生気を感じない。誰かが傍に居る。たとえ仮初めでも、恋愛ごっこの相手でも、傍に居る。

楽しそうな二人の会話の様子を確認したこともあった。なのに、なぜだろう?

本当の笑顔がそこにあるんだろうか?と、いつも感じていた。

おじさんたちとの会話から感じたこと。

俺が居るから大丈夫。俺が養ってやってるから。俺の金があるから平気。俺が・・俺が・・俺が!

このおじさんたちの自信は、どこからくるのか・・・

彼女たちに反して、生気に満ちているおじさんたちの姿。生き生きしていた。

私は、彼らおじさんたちにとっての彼女たちの存在とは、どういう位置なのか?観察してみた。

これは、私の偏見だから、間違っていたとしても、偏見なので。よろしくお願いする。

彼らおじさんたちは、この不況で、お小遣いを減らされている。もしくは、節約している。

キャバクラ行きたいけど、指名料金や時間。最近は、飲酒運転で捕まって一生を不意にしている人もいるので、行きたいけど、我慢している。

家に帰っても、居場所がない。自分の世界に浸りたい。もしくは、浸らざる終えない。寂しさを他の何かで紛らわせる。

女の子に甘えてもらいたい。甘えたい。触れたい。触れられたい。会話したい。おじさんにかまってほしい。

そこに、オンラインゲームが、目の前に現れて、「おいで。おいで。」と、手招きしていた。

「もしかしたら、若い女の子との出会いがあるかもしれない。」なんて考えているおじさんがいた。

大人の男のずるさ。

「俺、奥さんいるから、ネットでだけな。おまえとの関係は。」と前置きしやすい。ネットゲームだから。

それで、相手がOKなら、儲け物。「遊び」と割り切ってくれる相手との出会いに成功か?言い包められたことによる成功か?

とにかく、「遊び」と割り切った上でのお付き合いが始まる。

「都合のいい女」が出来た。成功だ。彼らおじさんたちにとって、なんの罪を感じることなく、ネット上で女の子を得ることができた。

女は、これで、割り切れる者と割り切れない者がいる。

「遊び」が「遊び」でなくなったときがそうだ。

そして、「遊び」ではなくなるときがある。

たとえば、「深い関係」なったとき。「できちゃった」とき。

「本気」になったときだ。

この縮図が、ほとんどのケースだとは言わない。反対の場合もあったりするからね。。。

ここまで読んでもらって、何か足りないように感じませんか?

感じた人が居てくれたら助かるんだけど、私は、これが「抑止力」になると思っています。

彼らは、オンラインゲームそのものが「遊び」なので、そのゲーム内が「遊び」のための「場所」だと認識しています。

そして、そこには、そのオンラインゲームをするための「料金」だけを払えば、互いに会い会話できる。そういう認識だと思う。

「恋愛ごっこ」は、この点が、あいまいなのです。

「恋愛ごっこ」を楽しむための「場所」と「料金」は、そこには発生していない。

「遊び」と割り切るにあたって、「遊び」を楽しむための「場所」と「料金」が設定されていない。

これは、非常に危険性をはらんでいると思う。

というのは、油断すれば、はまり込んでしまう危険がある。これが、ネットでの「恋愛ごっこ」の危険性。

「女の子と遊ぶ」という「目的」を持って訪れる「場所」、それが「キャバクラ」。

「女の子と遊ぶ」という「目的」を持って、そのための「お金」を払う。

そういう意識を持って「恋愛ごっこ」をするのと、そういう意識もなしに、ただ「都合のよい女」を得て遊ばせているのとでは、違う。

「目的」が、「異性との会話」だとしたら、そこに「発展」を望まない「期待」しない「恋愛」なんてあるんだろうか?

「遊び」と割り切っていながら、どこかで相手に「期待」している。

このあいまいさ。これは、断ち切らなければいけません。

そのために、「恋愛を楽しむ場所」と「恋愛ごっこに対する料金の発生」

この意識を産み出さないといけないと思った。

ちゃんとした恋愛をしてほしいから、「遊び」と「本気」は、分けなければならない。

これをしなければ、ネットゲーム上で、本気で「婚活」を応援するためのプランは、導入できない。そう思っています。