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いまだ、答えがでない。

いい思い出が残るように過ごせるように手助けする方法。

私は、とにかくおせっかいなので、人の気持ち考えずに突っ走ってしまうので、見落としてること沢山ある。

ゲームで大変なのは、安定した狩りができるまで成長させること(レベル経験値上げ)。自分にあった戦闘方法の研究、モンスターの性質・出現パターンの情報集めとダンジョンクリアのための消耗品(生命維持POT・マナPOTなど)の消耗頻度の調整(早い話が、POTを使わない戦闘方法を身につけること)。そして、共闘でのPTプレイ能力。これを、身に着けるまでが、一苦労です。これが、まず一つ目。

そして、お金です。装備だろ?wと言われるかもだけど、私は、その装備を手に入れるにしても、戦闘能力とお金が必要なので、、結局は、お金が一番必要な物にしました。

商売するために必要な「売るもの」を得る方法。これを、どうやって調べるか?市場で何が求められていて、それがどの程度の相場で取引されているか?その調べ方・相場の変動。

オークションの起こし方。取引の仕方。時間帯・曜日によって変わる客層と求められている物の見定め。

この力を身に着けておかないと、大変です。

最低、この二つをクリアできれば、ソロでもやっていけれるだけの能力がついています。

だけど、オンラインの醍醐味は、「協力して、共に達成する喜びを分かち合ってほしい。」これです。私の知っている作り手の言葉です。

この作り手の彼の影響があったから、どんなに辛いことがあっても、苦しい経験を経ても、そのたびに、自分がやっていることが、人に迷惑をかけているかもしれない。人から嫌われることかもしれない。わかってても、考えずにはいられない。思いを止められませんでした。

シナリオの作成、イベントの作成、配置、あとは、これに引っかかるように、人をどう誘導できるか?自然な形で、どう物語の中にのめりこませれるか?「どうか・・物語の中のメッセージに気付いてください。」そう願いながら、イベントを配置するたびに、そこに、見ず知らずのどこかの誰かと誰かが、物語のメッセージに気がついてくれて、イベントを発生させる罠に引っかかってくれるそのときまで、いつもドキドキでした。

私は、11年前、一人の男性と出会い、彼に教えてもらい、いっしょにゲームを創っていました。

彼は、プロのクリエーターではありません。ゲームを作ることが、ただ大好きな人でした。

私が、彼に出会ったきっかけは、「ネダンゴ」というネットワークRPG作成ソフトです。一般ユーザーが、難しいプログラム言語を勉強することなく、簡単にネトゲを作成して、ネットに公開し、いろんな人たちに自分が創ったオンラインゲームを楽しんでもらうことができるソフトです。

ゲームをしたことのない私が、初めてゲームに触れたのが、このソフトから作り出されたゲームでした。

そこには、アマチュアのゲームクリエーターさんたちが、一生懸命心を込めて創ったゲームが、沢山UPされていました。

このソフトでは、最高8人まで同時プレイできるので、ゲーム製作者さんと一般プレーヤーが、いっしょに遊べたりしてました。

私は、夢中になりました。ゲームというものが、こんなに楽しいものだなんて知らなかったから^^

ここまでは、実は、友達に当てた手紙のようなものです。

これを書いてから、ずっと考えました。友達には、「共感できない」と言われたしね。

「いまどき、そんなの流行んないよ。」ともね。

古い考えなのかもしれない。

だけどね。

あるプレーヤーの言葉が、ずっと頭に残っているのです。

「悪い風潮は、受け継がれていく。それは、解りやすいからです。」という言葉が、離れない。

11年前、アマチュアのクリエーターさんたちの間で、「シナリオ重視」か、「見た目のかっこよさ重視」かで、チャット場が、盛んに論戦状態になっていました。とても熱い方たちで、チャットを見ているだけで、こちらも熱くなりました。

今のオンラインゲーム(特に、大人数参加型を指す)は、どちらかに偏っている。それは、それでいいと思う。

見事に、どちらもかなりのクォリティで完成されたゲームも存在する。

それが、「悪い風潮」だとは言わない。ただ、何かが足りない。そう感じた。

最近、答えを求めて放浪しています。

「私は、何の答えを求めているのか?」を、自分に問うているとこです。

どこかに答えが転がっているわけでもない。でも、もがく。

ただ単に、好きだから。それだけのこと。

答えは出てはいない。だけど、気がついたことがある。

オンラインゲームの舞台についてです。

世界があり、シナリオがあり、そこにプレーヤーが参加して初めて物語が動き始める。

そこには、あらかじめ設定されたシナリオの中での「依頼者」からの「依頼」があります。

それをイベントとも言うのですが、一個のイベントが全てのシナリオを構成してはいません。複数のイベントが、それぞれ「ある条件」をクリアしたことによって得られる「値」を「起動条件」に結びついています。

「値」は、アイテムを得ることが条件であったりもします。それが、「カウントする」ための「カウントアイテム」。

これには、創り手の「作品」に込める思いがあります。

「依頼者」は、あらかじめ設定されている。

「依頼」を受けて、プレーヤーは、行動に起こす。導かれるように・・・

行動を起こさなければ、「シナリオ」は進行せず、ただ、舞台の中で、その世界観をビジュアルを楽しむ。

「依頼者」の背後に、「肉声」はない。シナリオを進行するための導き手だから。

「物語を楽しむ」だからこそ、プレーヤーは、導かれていく。「依頼」をクリアし、その先の「物語にたどり着くために」・・・

私には、ここに寂しさを感じた。

「対話」型のようで、実際に「対話」をしているわけではない。

どうしてかって?物語を進行するために、その先に進むために必要な設定された「対話」だから。

これは、実現不可能かもしれない。そんなことを考えています。

RPGゲームにとって、舞台・シナリオは、はずせない。

それを進行し、物語を体感する。その楽しさは、すごくわかる。

でも、これは、「主シナリオ」です。

私は、オンラインにおいて、この「シナリオ」部分は、製作者側の思いが込められた「作品」に対する愛情だと思ってる。

それは、大事にしてあげなきゃいけない。それは、プレーヤー側がプレーするにあたって、その「作品」に対する礼儀だと思います。

だけど、それだけなのです。「対話」が、それだけ。「一方通行」な「対話」だけ。

私は、オンラインだからこそ、いろんな経験してきました。多くの人と人が関わりあって、その中で、いろんなトラブルがありました。「恋愛問題」「盗難」「裏切り」「金銭トラブル」「人間関係トラブル」あげたら切がない。

これらは、「作品」へは影響はありません。「シナリオ」は、あらかじめ設定されているから。

ふと思いました。

そこに生身の人間の「生の対話」が存在していれば、「シナリオ」と「プレーヤー」との間で、「現実」の「対話」が存在してしまったら、物語が、思いもよらない方向で進行してしまうんだろうなあ・・・と。

ありえない。わかってる。だけど、そう思ったら、考えてしまう。

そこからおぼろげに見えてきたのが、「ギルドシステム」に組み込む形で、「ギルド」を「依頼者」に見立てて、「プレーヤー」と対話させる「シナリオ」を生み出すこと。

「ギルド内クエスト作成システム」です。

「ギルド」に、抜き打ちで「主シナリオ(製作者側の意図)」をランダムで放り込むこと。

これも、おもしろいと思った。

「個人商店」という販売方法が主流なのはわかっています。

そこに、「依頼者」からの「クエスト(ある事を依頼しますというアクション)」にエントリーする「プレーヤー」という形を提供できたら、「対話」が生まれる「物語」が生まれる販売方法なんじゃないだろうか?と思ってしまった。

また、そこに「主シナリオ」を放り込めたら、どうなるんだろう?と思った。

「対話」が生まれる。きっかけになる「クエスト作成」とそれに「エントリー」する「プレーヤー」の意志。

これは、「出会い」を生み出せる。本物の「物語」が、生まれる。

わたしが経験してきたことは、そのまま「主シナリオ」にさえなれる「生の物語」だった。

「生身の人間」が、関わる世界だからこそ、もともとある「主シナリオ(物語)」をただ進行するだけが、オンラインゲームではない。

だけど、実現できるんだろうか?そう思いながら、不可能かもしれない。それでも、答えを探しています。

これと同時に考えていることが、年齢層ごとのゲームの提供の仕方、背後にある人間関係にまで影響を与える目的でのプランの提供、操作性の統一化、ネットは究極のパワースポットであるということ、について。

全て、個々に考えてないので、ごちゃごちゃになりそうで、頭がパニックになります。

あんまり頭から離れないので、包丁の存在を忘れて危なく指切るとこでした^^;

何はともあれ、プレーヤーには、健康に害のない程度でのプレー環境の提供と勧め、明日の糧になる「振り返る」要素と「学ぶ」要素、そして、「物語」は、与えられるものではなく、多くの人と人が関わる環境があって、はじめてそこに「物語」が生まれるということ、その「出会う」から「物語」は紡がれるという「楽しさ」を提供できたら、そう思う毎日です。