ギルドシステムの導入から10年目 去っていった彼ら
私が経験したネットでの出会いと別れで、一番印象に残っているのは、「別れ」の方です。
今でも忘れることができない「別れ」は、仲間たちから支持され慕われ、愛された「マスター」との別れです。
私には、こういう考えがあります。
マスターやる人も、サブマスターやる人も、本来、他の1ユーザーと同じ立場であり、ゲームを楽しもうと訪れたユーザーの一人に過ぎないということ。
1ユーザーに過ぎない彼らが、多くのユーザーを束ね、世話を引き受け、部下に指示し、成長を助け、相談に応じ、トラブルを処理する。これだけのことを、「マスター」「サブマスター」という道を選んだ彼らは、背負っています。
彼らが、一番処理に困ること。
仲間間のお金・アイテム・経験値の取り合い
マスター・サブマスターに丸投げな初心者さんの面倒見。
生理的に嫌いという理由からの差別。正当な理由のない仲間はずし。
まだあるけどね。
仲間内で、宝物の取り合いになったとき。それとも、同じ宝物を狙っていた仲間同士で争いが起こった時。
ギルドが出来上がった初期の頃に、よくありました。
譲り合いの精神が必要。と一言で言うと、それがもっとも大事なことですが、人は悩みます。
「ほしいから。」という単純な理由からではありません。
ある程度、ゲームに慣れてきた1年目2年目あたりから困ったことが起こり始める。
「初心者」と「常連者」が混ざったパーティでの処理にです。
1年目の常連者が一人、2・3年目の常連者が二人、そこへ、ゲームを始めて一週間ぐらいの初心者さんが加わったパーティで、遊びに行ったとします。
ダンジョンでの最終部屋から、「初心者」さんに、高額の宝物が出ました。
それは、1年目の常連者が、以前から求めていたアイテムだった。
喉から手が出るほど、それがほしい。手に入れたいと思っていたアイテムが、仲間の手に入った。
ここで、宝物の分配方法をどうするか?最初から決めておかなかったら、協議という方法を取るか?(オークションのことです。)
初心者さんが初めて手に入れたのだから、初心者さんの物で、収める。という形が取られる。
だけど、仲間です。
仲間が求めていたものが出た。そのことを知っているのは、他の仲間です。
「せっかく出たのに、ほっとけない」という感情が起こります。
だから、初心者さんには、まだ必要ではないと思われるアイテムを、仲間に譲ってほしいという思いが芽生える。
「あなたには、まだ必要のないものだから、仲間のために譲ってあげてほしい」という者が現れます。
そこで、譲れば、それだけのこと。
譲らなければ、こんな感情が芽生える。
「仲間なのに、仲間が求めている物を、どうして譲ってくれないんだろう?まだ、必要がないだろ?なんでだ?」とね。
ここで、はっきりと言わなければいけないことを言います。
常連者にとって、1年目・2年目を過ぎた頃には、「仲間」と言えます。
だけど、初心者にとって、ゲームを初めて一週間で、「仲間」という感情が芽吹くだろうか?
仲間がほしい物が出た。だから、譲ってあげてほしいという気持ちは、素晴らしいと思います。
だけど、初心者さんにとって、これからゲームライフを楽しむための「資金源」が手に入ったのです。
初心者さんのこれからのゲームライフを楽しむための資金に使ってほしい。そう思いやってあげれる仲間がいなかったら・・・
この処理をどうするべきか?
一つ目
多数決を取るなら、常連者複数の意見を取り、仲間にアイテムを譲る。
初心者さんには、我慢してもらう。
この処理では、最初の遊びで、初めてのゲームプレーで手に入れた物を、仲間のために譲った。という思い出が残る。
だけど、本心ではどうだろう?
一週間しかたっていない「仲間」のために、譲ってあげた。という行為に、「良い行いをした」という感情が残るだろうか?
それに、多数決で、念願のアイテムを手に入れることができた常連者の気持ちに立ってみよう。
「後ろめたい。せっかく初心者さんが手に入れたものなのに、それを奪い取ったみたいで嫌だ。」そういう罪悪感が残らないだろうか?
二つ目
初心者さんの資金源を少しでもあげたい。なので、公平さをとって、オークションを行う。
プレーヤー間で、取り分の割合をまず決める。誰からも意見がなければ、均等割合で。
意見があり、他のプレーヤーから、「初心者さんとアイテムを求めている常連者双方で、金額を取り決めればいい。」となれば、常連者が金額を提示し、「その金額でよい」と初心者さんが応じれば、アイテム買取で処理する。
この処理では、はじめて手に入れたアイテムを初心者さんの思い出に残すことはできないけれど、これからのゲームライフのための資金を手に入れることができる。それに、期間は短いとはいえ、仲間のためにアイテムを譲ることができた。という感情も残らないだろうか?
私なら、二つ目を取る。
だけど、一番双方が苦しまずに済む方法だと思って、これを実行してみても、いつもこの方法が当てはまるとは限りません。
話し合いがうまくいかなければ、マスター・サブマスターが、一任してこの処理に当たります。
これで苦労された経験をお持ちの方はいます。
次に、苦労するのが、メンバーがメンバーの面倒を率先してしてくれるとは限らない。ということです。
そして、一人のメンバーのために、仲間を取るか?自分の意思を貫くか?選択を迫られる時があります。
自分からみて、「白」。どんなに落ち度を探そうとしても、「白」としかみえない。
なのに、まわりは、「黒」だという。
「あいつが出て行かなければ、俺が出て行く。あいつを取るか?俺を取るか?決めろ」とかね。
最悪な場合、他メンバーで同じ感情を持っている者に声をかけ、直談判にきます。
このとき、マスター・サブマスターは、痛い選択をする場合があります。
たった一人のために、ギルド全体が揺るがされるのは、困るからです。
なるべくなら、穏便に、和解で済んでほしい。
だけど、そうならない時がある。
このとき、マスターは、サブマスターは、汚れ役に徹します。
「切る」という、その選択をします。
これで、恨みを買うこともあります。
反対に、この選択をしたことから、自分を責め、マスターを降り、去っていった仲間もいました。
ギルドシステムが、導入されて10年目。
これは、私が感じたこと。
「誰かが、まとめなければならない。誰かが、面倒をみなければならない。」
全ての方とは限りませんが、マスター・サブマスター、彼らの多くは、このプレッシャーを、常に背負っています。
同じゲームを楽しんできた仲間が、このプレッシャーを感じながら、ゲームライフを過ごすのをみて、堪らなくなります。
私は、彼らを救済したい。だけど、私が思いつく知恵には限界があります。
誰か、お願いです。彼らを、このプレッシャーから救ってあげてほしい。
本当は、こんな短い言葉では綴れない思いがあります。