「生理的に嫌い」この言葉の裏 「出会い」は、一度きりではない。

私自身を振り返ってみる。

私は、生理的に嫌いなものがある。

ネット上でのことだけど、「こんにちわ〜〜」という挨拶を目にします。

「こんにちわ〜〜ご機嫌いかが〜で〜すか〜〜」

この文章をみただけで、吐き気がきます。

自分でこうして書いてみても、変換を押してだしてエンターを押して確定するまで、拒否感がある。

「だすな。気持ち悪い」と、拒否している。

近くで、この文章で会話しているのを、キャッチしただけでもだめです。

キャッチしないように、移動します。目に入るだけで、吐き気がくるからです。

かといって?

これをつかっている人を嫌いか?と聞かれたら、そうではありません。

嫌いではありません。だけどね・・・何度も使われたときは、やばいです。

●意がわくからです。

友がこの文章で会話を要求してきたとします。

友のことは好きだし、人柄もわかっている。だけど・・・

葛藤です。

「おまえ・・・、俺がそれ嫌いなことわかっててやってんのか?●すぞ・・」と、心の中で言っちゃいますね。

そして、その友に、やめてほしいと訴えたにも関わらず、平気で使われた日には、●●計画を立てます。

消えてほしいからです。永久にね。

(やっぱり、この気持ちを正直に書くことは、刺激が強すぎると思ったので、こうします。)

なぜ?こんなに吐き気が起こるのか?そのことを考えようとすると、いままでの記憶をさかのぼるにしたがって、拒否感が沸いてきます。

いまだ、理由に辿り付けません。怖いです。知ることがね。

これは、文字に限ったことです。

「生理的に嫌い」には、こればかりではありません。

人の最初の印象を決める要素が、見た目・言動・態度・癖。

話してみて変わったときの印象を決める要素が、性格・考え方・価値観。

長い付き合いを経て、定まる印象を決める要素が、生き様・執着心(ポリシー)・信念。

人との付き合いで、私がその段階段階で、そう思ったことです。

たとえば、第一印象が、最悪なぐらい不細工な顔の人で、話し方が、ぼそぼそ言っていて何を言っているのか聞き取れない。しかも、態度がおろおろしていて、癖なのか?貧乏ゆすりをしているという男性に出会ったとします。

「うわ・・きもい・・・」と、わたしなら思う。

そのまま、その男性の傍を離れたいと思います。関わりたくないからです。

でも、ここで、立ち止まってみます。

はたと、頭の中に、こう思ってみる。「まだ、話してないじゃん。どんな人か?それでわかるの?」と自分に問うてみる・・・

振り返ってみる。「きもい・・・とにかくきもい。生理的に受け付けない。だけど、だからって悪い人って決め付けていいはずがない。」

ここで、勇気を振り絞ります!!「話しかけるんだ!」と自分に命令をします。

万が一のために、護身用に、スプレーを隠し持って、話しかけます。

「こんにちわ^^何か困っていますか?道に迷いましたか?」と・・・

そしたら、男性が、心臓の病を持っていて、薬を落としてしまい困っていると。しかも、具合が悪くなり不安だと。地理に詳しくないので、病院にいこうにもわからない。どうしようか考えていた。というのです。

急いで、救急車を呼び、男性を連れていってもらいました。

もしも、あのまま・・・話しかけずにいたら、彼はどうなっていたんだろう?と、思います。

でも、人によっては、その場から逃げてしまう人もいます。

「めんどくせーな。病院連れて行くのも、人呼ぶのも嫌だし、このまま捨すか・・逃げよ。」って人もいます。

たとえば、第一印象が、見た目大人なのに、話し方は、子供らしく遠慮のない失礼な言動、思ったことを素直に思ったまま言い、困らせる。大の大人なのに、子供のようにはしゃぎ、まわりと歩調をあわせない。

そして、何かと人が嫌がる行為をしては笑っている。

「めんどくせー。なにこいつ?ウザ・・・」と、わたしなら思う。

そのまま、その人の傍を離れたいと思います。関わりたくないからです。

でも、ここで、立ち止まってみます。

はたと、頭の中に、こう思ってみる。「どうして、こいつは、こんな人が嫌がるようなことをしているんだろう?何か理由があるんだろうか?」と自分に問うてみる・・・

振り返ってみる。「うざい。めんどくさい。生理的に受け付けない。だけど、話を聞いてみないとわからない。何か理由があるかもしれない。」

ここで、勇気を振り絞ります!!「話しかけるんだ!」と自分に命令をします。

万が一のために、護身用に、フライパンを隠し持って、話しかけます。

「おまえ、なんでそんなことするんだ?すっげーうざい。理由があるなら言え。」と・・・

そしたら、いきなり告白されました。「何か?悪いことしたの?ぼく」と・・・話をよくしてみたら、実年齢10歳だと知りました。えええええ。こんなに大人にしか見えないのに?!@@と、驚きを隠せません。話をさらにしていくと、自分がどうして嫌われているのか?わからず、悩んでいました。

思ったことを正直に言っただけなのに、怒られた;;なんで?

ただ、役に立ちたかったから、こうしたほうがいいと思ったからしたのに、怒られた;;なんで?

と・・・

私は、こう答えました。「言う前に、行う前に、相手の気持ちを聞いてみるの。「正直に言ってもいい?」「ぼくは、どうしたらいい?」って相手の気持ちを聞く。聞かずにしちゃうからだよ。」ってね。

その日から、見方が変わりました。めんどくせーけど、気がついたこと言ってやるか。ってね。

私のように思えない人もいる。

「やっぱりめんどくせー。消えてほしい。こいつ」って思う人もいる。

教えることも、面倒をみることも、関わることもしたくない人はいる。

たとえなら、まだいっぱいありますが・・・私が言いたい事。

人の第一印象は、その人の大半を決めてしまいます。決め付けてしまう。

第一印象だけで、それ以上を考えることを「停止」してしまう人が多い。

私が言いたいのは、ほとんどの人が、第一印象だけで決め付けて、第二・第三の印象にたどり着くまでの「出会い」の楽しみを取り逃がしているということです。

「出会い」には、段階があります。

最初にみた印象と、相手と言葉を交わした後の印象。付き合ってきて経た後にたどり着く「こんなやつと出会ったんだな」という実感。

恐れは、どうしようもないよ。私も、「****〜」への拒否感をどうすることもできない。

生理的に受け付けない要素は、たしかにある。

だけど、それだけの理由で、せっかく出会えたかもしれない「出会いの奇跡」を取り逃がしているかもしれない。

私は、もったいないと思います。

一歩踏み出せたはず。

一歩だけ前に勇気を振り絞れば、もっと出会えたかもしれない「出会い」。

そんな第二・第三の「出会い」が、捨てられていっています。

我慢して付き合うことじゃないよ。

離れたいときは、離れるのも必要。

遠くからみて、気がつくことがあるからね。

「出会い」の段階が変わるときって、人それぞれだけど、「時」が来るんです。

「待つ時」ではなくて、「発見する時」がです。