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絆(きずな)

ゲーム 出会い記(まとめます お手紙

わたしの一番好きな景色は、遠くで、それか身近で「人」と「人」が、仲良く過ごしている語らいでいる風景です。その様子を、こっそりいないふりして観察するのが好きです。

わたしは、昔から、似顔絵をよく描いていました。仕事場でも、近所でも、旅先でもね。

人を描くことが好きでした。いまは、描いていませんけどね。

人の笑顔を描きたい。人と人が笑顔で語り合っている様子を描きたい。

一番大好きな風景です。

わたしがネットゲームを好きな理由は、ただ一つです。「人」と「人」が出会える奇跡を起こせる力があると信じているから。

ゲームを創った製作者とそれをプレーする人たちとの出会いから、アイデアが生まれ、新しいゲームが生まれるヒントを生み出す。そんな生み出す奇跡があります。

「国籍」「国語の違い」に関係なく、一生出会えないかもしれない遠くの「同星人」との出会い。英語を話せない私が、片言単語並べで話しながら、プレーしあったどこかの国の女の子。丸い地球をただ一点「ゲーム」という窓口を通じて繋げる奇跡。

日ごろ忙しくろくにデートもできない恋人同士・遠くに居て、会いたくても会えない大切な人が、この「ゲーム」を通して、通じ合える。触れることはできないけど、近くに「大切な人」がいることを実感できる。「大切な人」を再確認できるという奇跡。

人生経験豊富な年長プレーヤーとこれから成長する楽しみをいっぱい抱えている若者プレーヤーが、世代の違い・考え方の違いから、衝突しあったり相談しあったり、過去を生きた人たちからアドバイスをもらったり、これから成長する若者たちの成長に携われたり、そんな普通では出会えないような人たちとの出会いを生み出せる力を持っている。

ネットゲームには、人と人が出会い、絆が生まれる。そんな人と人を結びつける「奇跡」を起こす力があります。

ここで終わりじゃないよ。

現実は、違った。

「奇跡」を起こせると信じた。

それなのに、なぜ?人と人との出会いには、「差別」が生まれるんだろう?

あの子、生理的に嫌いと言った彼女。ただ、そこに居るだけなのに、なぜ?

英語でしか会話できなかっただけなのに、「英語を話すな。出て行け」と嫌われた友達。

「日本人、最低牛。白豚。」とわたしをなじった中国人プレーヤー。

すごく悲しかった。一時期、ショックから、中国人プレーヤーを嫌いになったこともあった。

同じ日本人同士でも、プレーの長さの違いやゲームプレー能力の差だけをあげて、陰口で「あいつ、なんにもしてないくせに、宝物だけもっていきやがって。」とか、「俺と同じ水準のプレーできないやつとは、プレーしない。ゴミだし。いらね。」なんて、平気で口にするプレーヤーもいた。

そんな言葉を耳にするたび、「人の笑顔」が、醜くみえてきた。だから、人を描かない。いまは・・

わたしは、ゲームを始めてするとき、チェックすることがある。

まず、その「ゲーム」が、「人」と「人」との出会いを大切にしたい気持ちが込められているか?を、お知らせや更新情報、アップデート時期をみて、判断しています。掲示板があればそこも。

思わず、笑顔になってしまえたら、きっといいゲームだ。直感でそう思う。

わたしは、マビノギを製作した方たちは、人と人との出会いを大切に思っていると思います。

マビノギを始めてしようとしているユーザーと既存プレーヤーとが出会うきっかけを作ろうと、初心者プレーヤーを手助けするためのクエストを提供したり、ユーザーの意見取り入れようとアンケートを開いたり、とても、心を砕いていると思う。

ただ、どう手助けできるか?正直、悩んでいるのではないですか?あなたたちは・・・

わたしが、これまで描いた日記や手紙は、友に向けたメッセージです。

だけど、それだけじゃない。願いをこめて、「製作スタッフさん、これが現実です」と、お伝えしたかった。

諦めないでください。

現実は、悲しいぐらい「人の欲」と「差別」が交錯しています。だけど、それを目の前でみせられようとも、ゲームには、「奇跡」を起こす力がある。そう信じる心を捨てたら、創り手からその思いが感じられない作品になったら、誰にも「笑顔」が生まれません。

わたしは、ヒントをもらいました。

わたしの大切な友からです。

彼は、それまで、「ネットと現実は分けてある」と言っていた。

だけど、彼が、ネトゲで知り合った仲間との「絆」を大切にしている気持ちを書いた日記を読んで、すごく感動しました。

マビノギを通して、彼は、仲間に出会い、「絆」を創りました。

こんなすばらしい奇跡を目撃することができた。

思わず、「笑顔」になりました^^