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痛みを我慢し続けると、麻痺します

あれから後、私は、ずっと考えています。

人を傷つけたのに、人の痛みを感じないこと。人から傷つけられたのに、背中を刺された記憶はあるのに、痛みの記憶はありません。自分自身の痛みを感じないこと。

私は、病気なんじゃないだろうか?という不安を抱くようになりました。

小さい頃、小学4年ぐらいのとき、階段の踊場で、男子生徒から、顔面目掛けて跳び蹴りされて、そのまま頭から落ちたことがあります。そのときは、痛かった。階段を転げ落ちるとき、頭があちこちにぶつかって目に痛みが走りました。肩や背中足首が角に当たる度に、ものすごい痛みが走った記憶が残っています。

このときまでは、私は、痛みを感じていました。

思い出したくないのか?思い出になっていないのか?記憶がないけど、同級生の名前も顔も思い出せない。

これも、おかしいんだよね。

そのことも関係してるんだろうか?

痛みを感じない。その意味が、理解できないことで苦しんだ。

前の日記から続けて、こんな話をするのは、理由があります。

ネットで知り合った「リストカットする女性」たちへの謝罪です。

謝罪といっても、理解できなくてごめんなさい。とかじゃなくて、嘘をついたことを謝罪します。

私は、あなたたちを「かわいそう」と思っていません。

同情もしていません。

なぜ?私に話したのか?いまだ、理解できません。

あのとき、私は、口では、「大変だったね。」と、いたわるような言い方をしていましたが、本当の声は、こうでした。

「だから、それがどうした?何が言いたい?切りたければ切ればいいじゃん。」そう思ってた。

口に出してはいけないことだから、必死で制御しました。自分をね。

今も本当の声は、そういっています。

でも、ちょっとだけ違う。

痛みは、我慢し続けると、痛みを感じなくなることに気がついたから。

私が気がついたのは、「体の直接的な痛み」が脳に伝わる速さと「痛みの感じ方」の度合いを脳が判定するとき生じる格差は、「同じ痛み」を習慣的に、日常的に受け続けると、脳に伝わる痛みの速さが、限りなく停止され、脳が判定する痛みの度合いに、これは痛みではないという「痛みのリセット」が生じる。つまり、「その判定された度合いから上が、本当の痛みだと判断する」ということです。今の痛みは、「基準」となって、痛みと判定されなくなるということです。

極端な例をあげるとすれば、こうです。

日ごろから、頭に釘を打ち込むのが、その家の習慣だった。

初めて打ち込むときは、「痛い」「ものすごく血が流れて、これは危険」だと思うのだけど、これが、その家の習慣だった。

そう言われ続けて、その習慣に慣らされていくと・・・

頭に釘を打ち込むことは、打ち込まれている者にとって、当たり前のことになり、同じ痛みを絶えず受け続けると衝撃は走るのに、これが「痛い」ことなのか?わからなくなります。

そして、頭に釘を打ち込む以外に痛みを生じたとき、脳が判定します。この痛みの衝撃と、日常受けている「頭に釘を打ち込まれるときの衝撃」の度合いは、どちらが上だろう?と・・・そのとき、下だと判定されたら、「痛み」と感じません。

上だと判定されたら、「痛み」と判定し、「痛み」が生じます。

これが答えかどうかは、まだわかりません。だけど、今出せる答えです。

私が言えなかった言葉。

あなたたちは、「痛み」を探しているんだとおもいます。だから、流れる血を見て、安心する。生きているということ。生きているのに、痛みを感じないということは、とても不自然だから。痛みを探す代わりに、流れる血をみて、生きていることを再確認している。そう思うの。

それから、心が受けた痛みにも、同じことが言えるの。

日ごろから、日常的に「罵声」や「差別的な言動」を受けていたり、「強制的指示」や「脅迫的な言動」を受けていたりすると、それに対して反論することを諦め受け入れるようになったとき、その言葉が「当たり前」のようになってきます。

心は、とても傷ついてぼろぼろになっていたはずなのに、その痛みが伝わる速さが停止されます。「当たり前だから」と思うから。

そして、痛みがリセットされます。「当たり前のことだから、なんともないよ。平気だよ^^」なんてね。言い出してね・・・

結論いいます。

我慢しちゃだめだよ。「痛い」なら、ちゃんと「痛い」と声に出さないと、痛みがどんなものだったのか?わからなくなります。

私はもう遅いけど、なんとか「痛み」を感じるように、私なりの努力しています。

私は、私と正反対の人に出会い、話すようにしています。まったく違う感じ方に衝撃を受けます。感じ方の違い・価値観のずれは、天と地ほども違います。だから、反発も反感も、すごいよ。

だけど、違うからこそ、痛みを感じない私に、「痛いんだよ!それは!」って、ちゃんと言ってくれます。出合った彼らはね。

かなり勇気いるけど、自分と正反対の人に出会えたら、食らい付いてください。

痛みを感じなくなった脳には、受け入れがたい存在を認識させるのが一番だと思いました。

ってことで、それだけのことです。