昨日、友達と話してて、ちょっぴりがっかり・・しかし!復活!妄想人生!

昨日、友達といま妄想しているゲーム世界の話をしてて、「それって、46億年物語だよ」といわれ、早速調べてみました。

スーパーファミコン時代の名作で、「46億年物語」というゲーム。。。ふむふむ・カチャカチャ

キャラ作成から、キャラの育成。その間に、攻撃されて死んでしまったら、リセットできない命。それから、育成と同時に、進化していくという育成スタイル。

おもしろそう^^

でも、ネットワーク型ではなかった。それに、進化したり弱肉強食で、食べたり食べられたりするとこは、同じイメージなのだけど、私のほうは、「生態系のバランス」を、ネットワークを通じて集まったプレーヤーたちで、いかに保っていけるか?それとも破壊しつくすか?それとも、淘汰するか?(例えば、ある固有の生物Aというタイプに、複数のユーザーが転生したとして、そのユーザー各々の判断になるけど、食べつくす(より経験値のよい生き物を毎日狩り続け食べつくすという行為)という行為に及ぶと、その生き物たちの数が減少してしまい、その生き物たちの生産活動で維持できていた地域の自然バランスが崩れ、食べつくしていった生物Aたちも、共に滅ぶということ。

もちろん、淘汰した場合、それは、他の生物に転生したユーザーたちにも影響を及ぼし、下手すれば、ネットワーク上で、全ての生物は滅びましたというシナリオにもなりうる。

だから、最初は、ある程度できあがったバランスの取れた世界として、各ユーザーに参加してもらったとしても、ユーザー一人一人が、各々ランダムで(神さまのくじ引き)あらゆるタイプの生物に生れ落ち、生きるために喰らい、成長するために喰らい、喰らった恩恵として、自然に恵をもたらし、その恵も与えすぎても自然は衰えるし、与えなかったら春夏秋冬のように、自然には、産まれ成長し恵みをもたらし、そして終えるという、このサイクルを維持できなくなる。

このゲームは、命を問いかけるゲーム。

もし、全員で、「完全淘汰してみよう」となったら、覚悟してもらわないといけないの。

どうしてかって、最初のゲームで用意されていた世界を再び作り上げるまでに、最低でも5年を要するから。

淘汰したら、何もなくなって自然に残されたもののなかから、各ユーザーは、最初の生命として、また再び産まれ、ユーザーたちによって、いまできる限りの生産活動で、自然を維持しながら、進化し新たに自然事態が進化し、共にユーザーもその進化する自然の中で、一生を終え、再び新たな生命として産まれおち、自然の進化と成長とともに、転生するタイプの生物の種類も自然の進化にともない、変化していく。

とりあえず、ここまで。

↑これを読んだ人で、「そんなゲームあるの?」って探さないでねw

これは、びえいの頭の中の世界だから^^